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毒親

毒親(どくおや、英: toxic parents)とは、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。
学術用語ではない。母の場合は毒母、毒ママ、父の場合は毒父等と称されている。当初は「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として用いられた。
「毒親」に関する議論は、親の「自己愛」問題が主な共通点であり、自己愛的な親(英語版)について語られることが多い。主に母親が対象として取り上げられる。
毒親に育てられたと考える人が、自らを毒親育ちと称することもある。

2008年から自己愛の強い母親とそれに苦しむ子供の問題に関する書籍が増え、日本では2015年時点で毒親という言葉は一種のブームになっており、ひどい親によって被害を受け苦労した体験を語ったという本・漫画等が毒親本・毒親ものと呼ばれるジャンルを形成している。
ブームの一方、言葉が独り歩きしている、悪影響がある等の批判もある。

親だけでなく毒家族、毒家、毒娘など、その人が問題と感じる家庭の対象に「毒」を付ける形で派生語が作られている。

一般的な認識、定義としては上記の内容です。

 

うちの場合は「毒父」です。

子どもは自分の所有物。

子どもは自分の便利な使役ツール。

子どもは自分のストレス解消グッズ。

口答えなんかありえない、子どもは親の言いつけを守り、言うことを大人しく聞かないとならない。

成人後であっても自分の知らないところで勝手に決めごとをしてはならない。
(物品購入や子自身の人生を決める行動の選択)

家族全員分の墓の権利、お前の分も購入したから俺と同じ墓に入れ。
(娘は入籍しない前提…私は兵馬俑か何かか?)

 

これらを当然のように信じ込んで強要してきます。

 

父の意にそぐわない行動したら即、「育て方を間違えた!」の言葉が飛んでくる。
そして母に向かって「お前がこんな娘に育てたんだ!お前の躾が悪い!」と罵る。

 

兄には「陰気な顔で睨んでやがって!出て行け!」
そして母に向かって「あんな精神病になったのはお前の血が悪い!うちの家系からは出ない!」と罵る。

 

基本、怒鳴り声や責め口調、誰かを見下して馬鹿にする話が父によってずっと展開され、母が黙って受け流している家庭でした。

また、「悪ふざけ」と称した父の加虐行為で、幼少の私は毎週末のように泣かされていました。
父の足指で私の足指をギュッと挟んで締め上げ、痛くて泣かされたり。
カボチャの煮物をその場で吐くまで延々と食べさせられたり。
足首を持って逆さにされてベランダから吊るそうとされ、恐怖で泣いたり。

父にとっては「泣かすこと」「苦痛に顔を歪めさせること」がゴールで、可愛い?と思っていたようです。
悪ふざけだと思いたかったのは父と、自分の心を守りたい当時の私だけで、今では私は虐待行為を受けていたと認識しています。

私は所詮養ってもらっている親には逆らえず、せめてもの抵抗で2年間父とは口を利かなかった10代後半を送りました。

 

社会人になって私は家に生活費のつもりで毎月5万円ずつ入れるようになりました。

1年も経った頃、母は私に「家に入れたお金を貯めておいたから家を出なさい」と言って、手配をしてくれました。
「こんな家は早く出たほうが良い」と。

勿論そんなことは許せない父は「ダメだ!勝手に色んなことやりだすようになる!」と言いました。
成人式も過ぎたような娘に…自分で判断するようになって色んなことをやりだして何が悪いというのか?

でも何とか家を出ることができました
あの時頑張ってくれた母のおかげです。

 

それから25年。
母が認知症を患い、我慢する、という色んなことができなくなってきました。

父のことも当然我慢しなくなり、母のストレスは最高潮になって認知症の症状も極めて拒絶的で厳しいものになってきました。

ついには包丁を父に突きつけ、二人の生活はショートステイと自宅で距離を取るようになっています。

今なら二人を離れ離れに出来るチャンスかもしれない。

今までは、「私がいないと主人が困るから…」と共依存に陥っている母を、頼み込んでも何しても意思が強く引き離す事ができませんでした。

私を助けてくれた母を、今の私だったら何とか恩を返すことができるんじゃないか?

 

初期の認知症の症状も見せ始め、元々事故で片脚を引きずっている父は何かと介護の必要があり、そのうえ若い頃より甘ったれ構って表現が激しく、攻撃性も高まっています。

必要最小限の事務的処理だけはするけど、直接には関わりたくない人間。

望んでないけど育ててもらったんだから一応「憎む」とか「○ね」までは口に出して言わないけど。

父に施設入所してもらい、私は残りの時間が少ないであろう母の手伝いをして、なるべく穏やかに快適に過ごしてもらえることを望んでいます。
あの手この手を凝らして理想を実現させるつもりです。

世間のルールではなかなか難しい面もあり親戚からは常識面で諭された事もあったけど。

マトモに聞いてたら身が持たないし、自分の知ってる世界の秤だけで評価して諭したがる人間は言うだけで何の責任も取ってくれるわけじゃないんだから現実的な行動を決めるのは自分だけ。

がんばりますよ。

 

 

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