転倒再びの47日目
朝から母に笑顔が無い。
どうも、昨夜の不機嫌を引きずっているか、私の感情が伝わってミラーリングになっているかしてるよう。
取り敢えず母にイラつかれてると不都合なので珍しく朝食直後にデザートのプリンを出す。少し機嫌が直る。
だけど私は昨晩の件が引っかかっていたから、この機会に以前から考えていた寝室分けをするべく布団を仕事部屋に移動させ、部屋が母一人になっていくら荒らされても構わない物だけを残すべく、押入れを整理。
持ち出しなどをするたびに鋭い声で「何をしているの?」「それ、どうするの?」などと時々質問される。不安や不快を感じているようだ。
適当にのらくらと「整理〜」「布団干してるの〜」などと答える。
私の布団一式がゴッソリ無くなった事に関しては気付かないのか関心が無いのか何も言われない。
整理で少し信頼度が下がったので午前のお茶の時もサッとお茶受けのお菓子を出す。まあまあ好感情回復。
午後になり、魔の時間になってきた。
いつものように「しんどい」と言い出したので病気の説明をしたり、同情したり色んな声かけをする。
病気の説明というのは「◯◯さんは記憶がなくなっちゃう病気なの。少し前の事思い出せなくてどうしていいかわからなくなっちゃうでしょう?いいお薬あると良いんだけどこの病気は難しくてまだ薬が開発されてないの。でも、同じこの病気で苦しんでる人いっぱいいるんだよ」という感じ。
なまじ騙したりボカしたりするより、一番納得してくれてる気がする。必ず最後には、同じ病気の人いっぱいいる、あなた一人じゃないという着地で病気の説明を終えるとホッとしてるように見える。
「いっぱい考えこんじゃうと余計具合悪くなっちゃうから、今日は晴れてるしお散歩しようか。殆ど歩かなくていいんだよ、私が車椅子押すから」
珍しく乗ってきた。だが、問題はその後起こった。
母「じゃあ出かける支度しないとだめね。あなたも靴下履くんでしょう?」
私「うん、履いてくるよ」
これがいけなかった。私は別部屋にいこうとして目を離した。
その間に、何をやったのかはわからないが、悲鳴が聞こえたので慌てて母の部屋に行った。
母は介護ベッド脇でうずくまっていた。
和室なので畳だが、介護用の手すりや介護ベッドの手すりが飛び出ている。母は転んで手すりに頭をぶつけたようだった。
まず、自分で介護ベッドに座れるか訊いてみる。
どうにか座れた。しかし痛い痛いと言って酷く渋い顔をしている。
そして気になるのが、一回、生あくびをした。
横にならせようとした。
横になる時に、首に激痛が走ったようだった。顔をしかめて痛たたたた…と言う母。
そしてまた生あくびを一回した。
頭やその他は痛くないようだった。けれど、首をやたら気にしている。
こんな時に急にあくびが出るのは不穏なので、すぐ在宅(訪問)診療の病院に電話をかけて指示を仰いだ。
時間が少しかかるかもしれないが、きてくれるということになった。
その間、ずっとベッド脇にいて、声をかけたり手にハンドクリームを塗ってあげたり手〜腕をさすってあげたりした。そうすると、うつらうつらとした表情になった。
16:30頃、医師と救命看護師の女性と男性スタッフが到着。状況説明し、母を見てもらった。
医師は言う通りの手をあげてください、とか目を閉じたまましばらく両手をあげてくださいと言ってテストしている。とりあえず言われた通りのことはできた。
湿布を出してくれることになったが、認知症なのですぐに剥がしてしまう事を説明する。すると、スティックタイプの塗り薬を出してくれることになった。
(付属の薬局が18:30くらいに届けてくれた)
今日はトラブルがあったがとても気にかけたし話しかけたしで、母は大変落ち着いた顔をしていた。
夕ご飯の催促もあまり厳しくない。
ダイニングにはいて、後何分で食べられる?とは何度も訊いてくるが、今すぐに食べさせて!というのは無い。
夕ご飯後には、皿を片付けてくれようとしたりする。
どうも、片付けを監視されていると感じていたのは、確かに監視している面もあるだろうが感謝の表現でもあったようだ。
表情は今日の午前とは違い、落ち着いて柔和な笑みすら浮かべている。
昨晩は夜用パンツの準備が遅かったのもソワソワと不安にさせた一因かと思い、すぐに夜用を穿かせる。
夕食以降は買い物に出掛けたり、初の別室を寝室にしたが、誰も母の部屋にいないからって特にソワソワするということはなかった。21:30にはトイレにも立たなくなっていたので眠れたのかもしれない。