私が酷い疲労の54日目

6時に母の様子を見に行くと、ベッドの下の方に斜めになって寝て、「助けて、助けて」と苦しそうな声を上げていた。
おもらしをしてベッドが気持ち悪いらしい。でも、体が痛くて、ちょっとでも動かす事はできないという。

パジャマのズボンを脱がせると、オムツもパッドもなく、パジャマ下だけで寝ていた。いつからだろう…
ベッドの下の方に寝ているから、もちろん防水シーツから外れたところのシーツにおねしょ染みがついている。

ベッドの上の方に少しでも体を動かしていって移動してくれるよう頼んだ。
なんとかずりずり動いて上の方に行く母。
おおむねまっすぐに寝られるようになったので、リハパン&パッドを履かせる。
それから、介護ベッドの電動傾斜を起こしてベッドの縁に座れるようにした。
しかし足、膝がとにかく痛くて痛くて立ち上がれないと言う。

甘えで言っている様子ではなさそうなので、もう一度寝てもらい、ホットミルクを運ぶ。食欲は無いというから朝食準備の時間を稼げた。どうせ目の前に出したら食べるだろう。
ベッドで休んでもらっている間に朝食準備し、ベッドに運んで再びベッドを起こして縁に腰掛けさせるとやっぱり「美味しそうね」と言うのでそのまま朝食。

午前中はおとなしいもので家事が捗った。
今日は特に、朝オムツなしで寝られてしまったものだから、シーツの下の全面防水シーツまで濡れていた。
敷布団まではいっていないけれど念の為天日干し。
全面防水シーツ、シーツ、腰部分の防水シーツ、パジャマとやたら洗濯物。臭いがきつそうなものはすぐ漬け置きして、その間におかずストック作成。

午前の私の疲労が酷く出ていて、偏頭痛の予兆もあったのでイブクイックとスマトリプタンの両方を久しぶりに使う。
これはすぐに効果がでて、俄然元気が出たのでバリバリ家事をこなし、パートの仕事まで少しする。

時々母の様子を見に行き、その度にパッドを交換。
今日は13時くらいまで全くトイレにも立てなかった。

魔の午後時間がやってきて、案の定そわそわとトイレに立つようになった。初めは支えが必要そうだったので支えたが、そのうち気づかない間に一人でトイレに通い出す。
(その時に大をしてきてほしい…と願いながら質問するが、出なかったと聞いてがっかり。まだオムツ内の大の処理をしたことがないので若干の抵抗感あり)

わりとこまめに話しかけたり、プチおやつを勧めたりすることで昨日の怒りはどこへやら、なんとか小康状態を保つ。
とにかく今日は本人が足が痛い、足が痛くて歩けないというものだから、比較的おとなしい。
しかしこの3日ばかり、午前はほぼ自力では歩けないものだから、この先連れ出す必要が出た時が心配。

14時にみかんゼリー、16時にホットケーキを焼いてご機嫌とり。まずまず。割と笑顔の出る午後。
TVを付けたら若い女性バイオリニストが着飾ってグループ演奏している番組がやっていて、珍しく母がTVに集中している。
そんな感じで今日はほとんど魔の時間を感じずに夕食まで持ち込めた。
夕食作成中は母が眠いけど夕飯食べないで眠るわけにはいかない、を連発していてなんとか堪えて起きている様子だった。
今朝おかしな寝方をしていたから、よっぽど夜は寝ていなかったのだろうか。
18時前には母はとっとと寝てしまった。

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