やっとこさっとこ67日目

23時から2時まで寝たけど目が醒める。変わらず、胃がものすごく痛い。
鎮痛薬を飲むが痛みがやわらいでいる時間も短くなっている。
どんどん痛みが強くなっているように感じ、恐怖。これは、今日デイケアに行ってもらえたら、午前にでも休日診療にかかりたいと思った。

7時前に寝室をこわごわ覗くと母は目を開けていた。
熱は36.8℃なのでまあまあよくある熱(平熱高め)。
いつものようにオムツを替えて、体を起こせるかどうか訊くと「起こせない」という。
お腹が空いているか訊くと、一応お腹は空いている、という。
朝食を用意して細長いお盆に置き、ベッドサイドのミニテーブルに置いてからベッドの傾斜をつけた。

お腹が空いている母は目でだけは食べたいのだろう、すぐに反応した。
なるべく体は起こさず、ベッドの縁にも腰掛けないまま手を伸ばし、思うようにいかないとわかると、か細い声で話しだした。
「(テーブルが)遠い。自分ひとりじゃ食べられない」
そして「死にたくない」と言うので、
「自分で食べるように動いたりしないと、死んじゃうよ」と言うと、「こんな大変なら死んでもいい」と言い出す。

甘えかな?と思ってもう少しミニテーブルをベッドに寄せ、私はそばにいないようにして隣の部屋から時々様子を伺う。
すると、時間はかかるが自力で食べだした。やっぱり自分では何もしたくなくて、すべて人に任せて結果だけほしい(お腹いっぱいになりたい)だけなのか。

イワシのみぞれ煮、厚焼き玉子、きゅうりとシラスの酢もの、魚介と貝柱のあんかけを出すが、イワシのみぞれ煮をほとんど残し、酢ものだけは手をつけず残された。
完全に好きなものしか食べない。

一応食べさせることは出来たから、体を起こす事は難しいけど後は送り出しヘルパーさんの手腕におまかせする。

9:10に来たヘルパーさんに急ぎざっくりと、私の姿が見えると無気力になって何も出来なくなる可能性を説明。
ヘルパーさんは母の元に、私は車椅子をセットしに階段に行く。
戻ってきて私は死角に入って様子を伺っていた。
嫌がる声は聞こえたものの、テキパキ指示したり着衣を手伝うヘルパーさんによって、どうやら着替え、立ち上がり、歩行まで出来たようだ。
しかし、両手をとられた母は半歩どころかつま先分ずつくらいの移動しか出来ない。

玄関先で靴を履かせている間に母の背中側に回り込み、ヘルパーさんにアイコンタクトでお礼。
9:35にロビーへデイサービスの迎えが来るのだが、9:30回った頃出かけていった。さすがプロだ。

11:00くらいにデイサービスの看護士さんから電話がかかってきて、母の左手が赤く腫れている事を指摘された。
貼る湿布がダメなら、塗る湿布を提案された。そういえば4月上旬の室内転倒の際に塗る湿布を貰えていた事を忘れていた。明日のデイでバッグに入れる事を約束する。
デイでの母の様子を聞くと、トイレの仕方や、手の洗い方は指示されればできるが自分ひとりではできなくなっている、2週間前とは状況が違ってきているように感じると言われた。あの高熱をきっかけに、母はやはり認知症状が進んでしまったようだ。

母が居ない間に私はシャワーして、優雅にポケモンGOをしに行ってみた。
でもなんのかんのであっというまに帰宅時間の17:30が来る。
昨日叔父に貰ったおこわ弁当があるからそれを出すつもりで今日は何も夕食の支度もしないので楽だ。

帰って来た母を、私が階段を降りさせられるかが不安だったが何とかなった。
相変わらず半歩以下の歩み。
意外と苛々もしたりせず、落ち着いている。

ダイニングに通さずにベッドに連れて行ってパジャマに着替えさせたのが失敗だった。
もう、ベッドに腰掛ける気力も無い。ベッドの傾斜は大丈夫だったから、よっかかってもらって膝の上でおこわ弁当を食べてもらった。
お弁当のおかずをまんべんなくつまみ、全体の2割ほどを食べた所で急にクシャミを連発しだした。
時間にして10分間近いだろうか。顔はくしゃくしゃになって、苦しそうだ。両鼻から垂れた洟を拭く余裕も無いまま、ずっとクシャミをしどおしている。
そして「胸が苦しい。飲み込めない。もう食べられない」と言って食事を終了してしまった。

飲み物を勧めるが何も飲みたくない、痛い、苦しいというので服薬も諦めた。
オムツの支度だけして寝かせた。

今日はもう、私の方は胃の痛みは復活しなかった。もう大丈夫かな。安心。

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