単身介護終了70日目

2時台に目が覚めてしまった。神経が昂ぶっているのかな?
昨晩は母を寝かせてからシャワーして、たいしてお腹がいっぱいでもないのにポケモンGOしに二時間くらい散歩に出掛けたのがよくなかったか。
疲労感があり、少し頭痛がするからイブクイックを飲む。

6時半に覗くと母は目を開けていた。
「あなたのようにこうして毎朝来てくれて声掛けしてくれる人との出会いは大事にしなきゃって思うの」
思うところはあるがまあいい。歓迎させているんであれば。

お腹が空いたというから朝食を準備して、食べられるか訊くが「食べられないわ。食べさせてくれる?」

今日は私の作ったものは南瓜煮、ほうれん草と玉ねぎとマカロニのクリーム煮。後は災害時用として買っておいた高齢者用献立パウチのパワーを炸裂させてみた。
牛すき焼きおじや、帆立貝柱あんかけ、野菜の煮物(これは惣菜)など。

自分用に残しておいてもあまり食べたくはないし、ここで使わないでいつ使う。それに、介助最後の日に自分が作ったものを食べたくないと拒絶されたら悲しい。

一通り全部食べさせていって、「味はどう?」と訊いてみるが無反応。「あんまり好きではない?」と訊くと首を縦に振った。もう、何が食べたいって言うんだよ…おやつか?

食いつきが悪いので7割がた食べさせたいところで
プリンとイチゴ3粒(練乳かけ)の皿を手元に寄せてみた。
「デザートくらいなら入るでしょう?」
目線だけはがっつり食い付いてきている。なんとか自分でフォークを使い始めるがかなりたどたどしい。すぐにやめてしまった。
「食べられないわ」
仕方ないので朝食同様、口に運んだ。これは早いペースで食べていたので好きなんだろう。完食した。
薬飲まなきゃ良くならないよ、と言ってなんとか食後の服薬完了。

デザートすら自分で食べられないと諦めてしまうようだから、甘えでなくて本当に調子悪いみたいように見える。
でも甘えればどうせ食べさせてくれる…、と学習できるのかも??真実はわからない。何せ、外ではここまで要介助にならないみたいだから。

朝食の食器を片付けていると、呼ぶ声が聴こえてきたから駆け寄ると脚が痛いと言う。
でも、どんな風に痛い、だとか、何をしたら痛くなった、との問いには答えられない。

母は自分で肌掛け毛布をどかしたら「痛くなくなってきた」と言う。でもほどなくして「寒い」と言い出すから、また毛布を掛けてあげた。
「さっきは毛布掛けたら痛いって言ったけど、どう?今また掛けちゃったよ?」
「さっきよりは痛くない。あと、ここが痛い」と言って、胸〜腹部中間位を示した。
もう訳がわからない。

「もうちょっと休んでれば良くなってくるよ。朝は誰でもみんな調子出るまで時間かかるよ」とあまり解決にならない言葉をかけて部屋を出た。

よりによって胸と脚か…着替えと出掛けが出来なくなる暗示?
下手に、今日は入院だよと言わない方が良かったのかな。でも病院に行けば楽になれると信じている母が行きたがらなくなるのも変だ。

構われたい、優しくされたいということ?何だってありえるから困る。

なんとなくしみじみ来て、寝ている母の横に私も頭を寄せ撮影した。もう同居最後だと思うと。

2時から起き続けている睡眠不足のせいで、その後私は自分の拠点部屋で一時間近くウトウトしてしまい、廊下の気配で目が覚めた。
母が自力で歩いてトイレに行こうとしている。
トイレ内でも自力で立てて、流しもでき、洗面所に行き手を洗い、洗面所の電灯まで消せている。
見れば寝室の襖はちゃんと閉まってるし、今日はかなり早々に動けている。朝のあの動けなさは何だったのか。
ベッドまで戻るのを確認した。
ついでだから、パジャマから服に着替えさせた。

また一時間後、自力で今度は台所に来た。
少し怒り気味に「何を食べたの?」と言ってくる。
どうやら私が一人で食べ、母にご飯を用意しなかったように受け取られているようだ。

「朝はもう食べたよね?お昼はこれから」と言うと、「ご飯を食べなきゃならないから」と言っている。
間に合わせに台所に出ていたりんごジュース、ヨーグルトを出す。
一応納得したようだ。
「まだ何か食べたいって感じ?」
「ううん、何も」
ホッとした。
「こういうの(りんごジュース)を飲むとね、すぐトイレに行きたくなっちゃう」と言い、母はトイレに行った。
その時すでに11時、ケアマネさんが来た。

ざっと、母が今日はいつになく動けるという報告をした。朝みたいな、スプーンひとつ持てなくて食事の介助もすっかり任されるようなあの無気力さをケアマネさんが来ている時にこそ発揮してみせてほしかった。

母が結構動けているものだから靴下と外行きのズボンを穿かせそのままベッドで待機してもらい、ケアマネさんと少し今後の打ち合わせをした。

経済的に苦しくなるので両親名義の賃貸を引き払い、私が隣県の義実家に行く事、しかし扶養の関係から住民票は移せないであろう事、義家族からはいつまでも居てくれていいと言われていることを話した。
しかしケアマネさんには、「そうは言っても(ご主人のいる)自宅には帰りますよね?」と見抜かれていた。

「入院など何かあった時や書類の作成で、緊急連絡先が近くに住んでいる人を要求される事があるんですよ」

それは前から話している事だ。
とりあえず私の引越先として義実家の住所を知らせますという事になった。

そうこうしているうちに11時半になり、ケアマネさんと協力して母を外に連れ出した。
ケアマネさんが車椅子を階上へ用意しに行ってくれた間に、私は最後の介助、玄関で母に靴を履かせて、両手を取って椅子から立ち上がらせた。

玄関先ですぐにケアマネさんが歩行介助を代わってくれ、階段登りを手伝ってくれた。そのタイミングでショートステイの人も丁度来た。
階上でショートの車椅子に乗せられ、母は連れられていった。

そして部屋に戻った私は腑抜けになったようにボーッとして、ケアマネさんにiMessageで義実家の住所を送った。

前回のショート行き同様、あんなに悩まされた母がいなくなると、何をして過ごしてしていいかわからない、空虚な気持ちになる。

動かないとやってられないから、母の寝具食器を中心に処分品としてまとめ、早くも粗大ゴミ回収に申し込んだ。

終わってしまったらまた、一人では広すぎる、誰も居ない空間に居続けるのがしんどくて、19時過ぎにポケモンGOをしに3時間くらい出かけてきた。
かなり歩き回りすぎて疲れてしまったけど、これならすぐ寝られる。

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