一休みの12日目

今日は一瞬目が覚めたけどそのまますぐに寝たり出来て、まあぼちぼち。
でも日々の片付けや外出でまた身体の疲労が抜け切らないのがわかる。

そうはいっても母がいない今がやれる事をやっておきたい時。
今日はよく晴れていたのでブックオフに兄のCD、DVDを売りに行った。買取不可もあったけど91点で1万3千円近くになった。
これをもうちょっとで可燃ごみに出そうとしていた…危なかったな。

手ぶらの今が重いものを買うチャンス、と米を買った。こういうことするから休む間がなく疲労が溜まるんだが…

正午〜午後は父の部屋片付け、ゴミ出し。
片付けをしていたら家譜が出てきた。
一年くらい前に叔父が先祖調べをしたものだった。
何か難しくてよくわからないことだらけだったけど、3代前までは東北の殿様に仕えていたらしいのだけはわかった。
あと、私や兄の命名を書道で書いてもらったものとか、写真の整理とかでかなり精神力が持ってかれた。
自分が関わる、親の想い出の品に手をつけるのはほんと苦しい。

こういうのを子ども任せにするって…お義母さん、深く考えてないだろうけど実はかなりしんどいんですよ。
うまく伝えられもできなかったし、(終活つまり死ぬ準備だなんて)デリケートな事なので言いようもないかど。

うちの両親もお義母さんもそうだけど、自分の親の介護に関わらなかった人たちってそういう体験がないから発想すらない。
生きたいように生きて、向かい合いたくないものにはフタをして自分がいなくなってから後片付けは頼むねって感じ。
(ウチの親は片付けどころか手放したくない!まだ見る!まだ使う!と拒絶する。体力的にもう絶対触れないものでも)

何か酷いなーと思う。
昔はゆとりがあったかもしれないけど今の時代って親とはいえ他人にそうそう時間とれなかったり経済的不況とかあるのよ…

苦労して育ててもらったんだから!なんて諭されたとしたら産んでくれなんて頼んでないし、って返したくなるしね。
不条理を感じるわ。自分が子どもをもたなかったのにはこういった事も理由がある。

悶々としたので夜は勢いでお義兄さんにメールを書いた。
親は丸投げのつもりです、子どもは後で自分が苦しくならないように出来る手段は講じましょう、っていうのを柔らかく。

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