母の病院付添

転入届で一日出歩き回った翌日は、母の病院付添である。
しかも神経内科に加え、目やにがひどいので眼科の受診も追加された。
さらに今日の天気は荒れ狂っている。豪雨、強風…
最寄駅から母の特養への道は徒歩20分ある上に、車道では車がビュンビュン走る上、歩道はすれ違うことも出来ないくらい狭い。
車道からの跳ね上げられた水をかぶり、強風で役にたたない傘を必死で支え全身びっしょりになりながら20分歩き、母を連れて冷房の効いた病院で濡れた体を冷やされながら3時間待ちだ。

修行かな?
私が届けで何度も足を運ばなくて済むよう不正したからバチが当たった?

比較的眼科は待たないということを聞き、まず眼科受診から。
あっさり、10分も待たずに診てもらえ、結膜炎でしょうという事だった。目薬が2種類でることに。
母は「目を開けて」と言われたのにしっかり閉じてるし、受け答えも口ではもうしないから、あまり意思の疎通ができなくなってるみたいだ。

待合室で話しかけた時にもあまり反応がないし、日に日に衰えている。もしかしたらもう既に私の事もわかっていないかもしれない。
とっくに、「よく来てくれたわね」の言葉はもらえなくなってるし、看護師のうちの一人くらいに思われているかも。

脳神経内科は大変混雑しているということで予約をとってもいつ診てもらえるかわからないと言われていた事もあり、今日は内科の受診。
内科担当の5人の医師のうち一人が脳神経内科の医師を兼任していて、予約を取れない人は通常外来でこの医師狙いで来ている。

やっぱり、相当待った。10時20分くらいから待っていたけれど、午後にもつれ込み。

あまりに長時間の待ちなので母が渋い顔になっていき、それまでだんまりだったのが途中からちょくちょく「のろい」と言ったり、
外科の空いている待合室の方を指差し「早くあっちに行かないと。看護師さんに言いにいって」と言い出したりしだしたので、「ちょっとしんどい様子なんです」と内科の助手さんに言ってみると、「横になって待っていますか」と処置室の方に連れていかれた。
順番早くはしてもらえないらしい。
でも大きい総合病院ということもあり、私が移動介助せずとも寝台に移すのも全部やってくれて助かった。

母を任すことができた所で私は自分の体の冷え切りを自覚し、病院フロアを歩いてみると売店があったので母の分も含めおにぎりを購入。このままじゃどうせまた、施設のお昼が下げられて無くなってるだろう…
待合室に戻ってきてこっそりおにぎりをたいらげた。そしてなんとか診察の順番が来た。

医師は大阪の人らしく、大きな声で大阪弁でよく喋る人だった。
先週内科で診てもらったむくみに関するカルテを確認、手の震えや声掛けの反応、腕をあげさせる反応を診てくれた。
結果としては、症状はパーキンソン病のようではあるがもうこの年齢なので、「そうだ」ともいえるし「そうではない」とも言えるんですという言い方をされた。
そして、「細かい症状がいくつも出てるし、それらを突き詰めるとそれぞれに原因の病気というのがあるのかもしれないが、特定するための投薬、方針などは家族がどうしたいかに関わってくるんです」と言われた。

私は「とにかく母が痛いとか苦しいとかが少ない方向にしたい」と答えた。
つまり、治療は無くてもいいから対処療法さえできていけばというつもりで言ったが伝わったかどうかは微妙。母を前にして「治療しない」みたいな言葉は聞かせられない。
母は認知症だし医師は難しい言葉を早口でいうので理解できないかと思ったが、どんどん表情が暗く沈んでくるのでこれは母なりに理解していると横から見て感じた。

パーキンソンやレビーの兆候だと、盗まれた妄想が出たり性格がキツくなるという話をされ、数年前から母はそうです、そして今年の3月にはセレネースを頂いてましたと伝えると、ちょっと医師はわかってきたぞ、というような表情になった。

「セレネースは、別段わるいお薬ではないんです。良いお薬です。しかし、パーキンソンの症状を引き起こす性質も無くはないんです。その処方がわるいということではありませんよ。症状も、あちらを良くするためにはこちらがうまくいかないということはお薬にはあることで、全部をよくしていくわけにはいかないんです」

「では、仮にパーキンソンのお薬を試すと、認知症にどう影響が出てくるとかありますか?」
「これは微妙なとこの質問来たぞ」

セレネースは、神経面を抑える代わりに体もぎこちなくなってしまう作用。
パーキンソンの薬は、震えを止めて体を動かせるようになるかわりに興奮もして認知症状を悪化させるかもしれない作用。

それで、「認知症がよくなるということは絶対にありえません」と、確定事項だけは伝えてくれる。

つまり、医師は直接的な表現を避けすごく遠回りな言い方をしてきているが要約すると、
「何か薬を試してみても良くなる “かも” ねという状態。試すのもリスクがある。年齢もあるし、これは人間が辿る最後の工程の状態。どの方法が本人の幸せな最後を迎える状態かを考えるのは本人ではなく家族が選択するものですよ」

これはやっぱりどの程度理解できるか不明の母を前にしてるからなんだろうなー。
言葉を選んで例え話を交え、いっぱい説明をしてくれた。

「長くおまたせしてすみませんね。(皆さんに)このようなお話をするもので。大阪人なので言い方キツいかもしれませんがごめんなさいね」と言われた。
「ずっと長く僕がお母さんを診てこられていたら、もうちょっとこうじゃないか、ああしましょうと言える事もあるんですが初見さんなので、お話できることもこのくらいしかない」
「これからまた相談したいことがあったりしたら、診察券を持って娘さんだけでも構わないのでこの長時間の待ち時間ですが来ていただいて構わないので」

…総合病院の医師なので当然とも言える内容。一所懸命で、良いお医者さんなんだろうなという事はわかった。
そうだよな、脳神経なんてデリケートなところを、初めて会った人に、これからのこの人の治療決めてくださいなんて言えるわけない。

会計待ちの時に、さらに母は渋い顔になっていて、「私しぬのね」と言ってきた。
他のことはわからなくても、死期だけはわかるようだ。そして、すごくすごく生への渇望が激しい。

母はこれまでの人生で「ま、終わりってなったらどうしようもないか」みたいな気持ちになったことはないんだろうか。

絶対に諦められない、生きたい、でも自分では生きる努力は疲れるからしたくない、でも誰かに元気に治してもらいたい…諦められない。
そんな繰り返しの感じだ。

思えば、まだ余裕があった3月の母は車椅子でエレベーターに乗った時、同乗した小さい子とかに微笑んでみせたりしていた。でも、あれやこれや体が不安になりだした4月以降は、顔をそむけて小さい子を見ないようにしていた。
また、私が同じ部屋で着替えている時は、やたらじっと見てきて「きれいな体ね」と言ってきたのが何度かあった。※きれい=若いという意味だと思う
鏡を見た時には、「嫌だ。おばけが写ってる。鏡を見たくない」と言っていた。
転倒の時にはもう死を覚悟し、「死にたくない!助けて!」と叫んだ。

全力で老いを否定し、死を恐れている。
こんなに死を怖がっている老人ってよくいるもんなんだろうか?

私は自死が怖いから実行しないだけで、死ぬんならもういつでもいいや (老いや病気で)体が動けない時間を長く生きているのだけは勘弁な、って自分に関しては思い、過ごしてきている。

母はこう言っちゃなんだが、いつまでも楽しく生きていたい、そんなに幸せな人生を過ごせているようには思えない。
経済や生活にだけは心配が無いが、家庭はうんざりなもので逃げ出せずに来た。
それともうんざりな家族たちが近くにいなくなった今こそ、自由に過ごしたいのに体が動かないなんてという嘆きか…

真相はわからないが、母は最期を覚悟できていないし、する気もないようだ。

ヘルパーさんの、「何言ってるんですか!いつまでも元気でいられますよー!」という大げさな盛り上げ調は却って母の不信を招くから、意地がわるいようだが正直に言ってみる。

「○○さん今87歳なのね。これって長生きなの。○○さんのお母さんは、83歳で亡くなったの。○○さんはもう、お母さんより長く生きていられてるの。世界で一番長生きの人は、120歳とかかな。だから、気力が頑張れる人は、そのくらいまで頑張れると思うけど」

私なりの精一杯の、正直かつ、少しでも希望を持てるならと思っての語りかけだ。

理解したかはわからない。無反応だが表情は泣き出しそうに眉間にシワが寄っている。

これって老人性鬱なのかな?
もしかしてどんな治療より、うつ病の薬もらうことが一番母が安楽になれるのかしら…