両親の特養にハシゴで行く

今日は両親の施設を順に回る上、私の腕時計の電池交換や特定の店での買い物なども予定に入れたのでたくさん歩く予定があった。

父の施設に行く

父の特養に9:30までに来てくれと言われていたので9:20に到着する。
電話だけでしか話したことの無かった相談員さんに対面挨拶。この人は最近よく連絡してくる人だ。
精神科医の診察開始が9:30と聞いていたので、それまで父に面会がてら待機。

いつものようにTVの前に座っている父。
太めで大柄だった父がここ数年でどんどん小さくなってきているようには感じてきていたが、ことさらに細く小さく感じる。
近寄って声を掛けると、私のことが認識できなかった。
キョトンとして首をかしげている。
「○○だよ、わかる?」と言ったら、名前には反応して「ああ」と言い、「回りの人って知ってるのかな?紹介しなくちゃかな?」とか言い出した。
そして、色んな職員さんが通りかかるたびに「これ!本当の娘!」と言いまくり始めた。
「本当の娘? 嘘の娘がいるの?」と、職員さん達からは「面白いね」とウケられていた。
職員さんはそこに至るまでの会話を聞いていなかったと思うが、「(女性職員さん達は)娘みたいなものだから」と言っていたからそんな言い方をしたんだろう。

無言で(これ?)という感じに小指を立てておどける職員さんも居て、「なんで小指なんか立てるんだよう」と父もフザケを理解して応じる感じだった。
割と和気あいあいである。
「今はご機嫌で良かったですけどね、そうじゃない時はもう大変で…悪魔みたいになる」とフッと言った介護士さんもいた。

私の事があやふやになってきているので、家族、親戚の話を出してみる。
兄の名前を出して「○○。わかる?」と訊くと、「ああ、息子だ」とすぐに返ってきた。
「可哀想に、ガンで死んだんだよな」と言う。
意外とおぼえていた。

親戚の名前もわりと反応してくる。
ただ、誰がいつ亡くなって…というのがあやふやで、すぐに名前が入れ替わったりする。
兄弟姉妹の順もよくわからないようだ。

私の婚姻後の姓もわからなくなっているから、「○○になってるよ、○○ ○○」と言うと、「なんだか寂しい感じだな」等と言う。
一般的にはよくある、父親の娘への執着みたいに見えるけど、うちの場合は必要以上に依存を感じて気持ち悪く感じる。

団らん室にくっついた調理場では調理が開始され、「今日はラーメンよ」と入所者さんたちを盛り上げている。
「娘の分もあるかなあ?出してくれる?」「もちろんよ〜」
これは適当な“いなし”なので本気にするわけないし、私は用が終わったらすぐに帰るつもりでいる。

私が来ている事を不思議がったので、「この辺に用があって」とか、「お医者さんがもうじき調子はどうですかーって来るからその立会だよ」と言う。
「なんで医者が今日ここに来るのを知っているんだ?」
「ここの人が教えてくれたんだよ」
父はいったい何を気にしているのか。自分の知らない所で、何かが進行していると感じて不安なのか?

父の施設、精神科医の問診

10時になってようやく精神科医が来た。
女性アシスタント1人と、施設の女性看護師さん達2人くらいと、介護士さんにぐるっと取り囲まれる。
軽く父に今の調子を訊き、いつからここに入所して、どのくらい居るのか訊いていたが答えられるわけがない。
父は介護士さんに「俺、どう答えたらいいかな?わからないや」と助けを求める。
精神科医は戻っていき、私が無言で誘導されたのでついていった。

ここでは、かなり、ズバッと今の切迫した状況を聞かされる。
みんなオブラートに包んで言ってくれてただけで、思ってた以上に暴言・暴力が酷いようだ。
特に女性介護士さんへの介護拒否や暴言が酷く、男性介護士さんの前だと比較的おとなしい。
一番困るのは、他入所者さんへ暴力をしかねない状態で、これが起こってしまえば傷害事件で即退所になってしまう、と。

もう誰が誰やらわからなくなったほど認知症が進んだから、今まで家族へしてきたことを平然と周囲にするようになったんだろう。
こちらが本性。なるべくしてなったという感じ。

精神科医の話では、今すでに強い精神薬を3種類使っているので、ガラッと他のものに試すということ。
これで駄目なら精神病院に入院というふうに考えていかないといけないということ。
まず確実に言えるのは、こういった精神薬を用いると寿命が短くなること。

まだ私はここで「いえ!寿命を気にせずどんどんやっちゃってください!」とは言えない。
せめて、匂わせることしかできない。
それにはまず、精神病の問題だけじゃなくて、若い頃からの人格的な問題があるから、まずよくならない方向で考えてほしくて、説明した。

去年同居していた母を追い詰めて包丁を持ち出させたこと。それがきっかけで同居できなくなったこと。
たとえ認知症の母じゃなくても私だって誰だって包丁を持ち出したくなるくらい横暴な人間だということ。
私が遠距離にわざわざ離れて住んだのも父のことに関係なくはないこと。
正直、こんな問題が起きるまでは、1年近くなんとかやってこれた事自体に驚いているということ。

オブラートに包んだけど私が何も想いをかけていないことが伝わっただろうか…

精神病院に入院となると、すぐに家族の同意やなんかが必要になったりするが、遠距離で行ったりきたり、そして母の方の特養にも通っていることを話すと、なんとかその辺りは(そういう必要がおきたら)調整してみましょうといってくれた。
しかし、東京の東側は精神病院が少なく、当然空き病床もなかなかないという。
この精神科医の病院は今はどうにかある??みたいだが、今すぐにという話ではないのでとりあえずできる事をやってみましょうということに。

何か質問はあるかと訊かれたので、「薬を変えて様子を見るというのは、期間的にどのくらいになりますか?」
「介護士さんが耐えられなくなるまでです」

…もうすでに今がきつくなってるんだから、いつどうなるかわからないということ。

こういう人間が平然と野放しにされてきた原因、何が悪かったんだろう?
痛い目に遭ってこなかった環境? 回りが腫れ物の扱いしてくれてたおかげで事なきを得てきた?
いや、痛い目も遭ってるだろうけど「自分は間違っていない!」で押し通して来たんだろう。
…人生の最後にそれまでの行いの総決算があるとは聞くけど、きっと一番我慢ならない結末を迎えるんだろうな。

精神病を嘲って嘲って、兄が統合失調症になったのは自分の(遺伝の)せいじゃない!と追い詰めてきたんだから、そのツケが回ってきて、今度は自分が精神病棟で薬漬けにされて朦朧として人生を終わるのかな。
拘束されて、誰からも気遣いの声掛けがかからず、孤独で放置されて。
あんなに孤独を嫌がって、人にしつこくして嫌われて、その人間が一番なりたくない最後になるのかな。
でも、酷い人間だったんだから。私もお義理で「そんな人にきつく当たったら、自分も辛い目に遭うよ」と言ってきたんだから。
それで聞く耳を持たずに周りを恫喝してきたんだからそろそろ本当のツケ払いをしてもいいんじゃないか。

私が心が痛いのはどういうわけだろう。
仮にも私の素、だからショックなのかな。
相応の結末を迎えて欲しいという気持ちと、バツの悪さが混在しているような感覚。

母の施設に行く

精神科医が引き上げていったので、私も早々に退散することにする。
何か、精神に関しては投薬にあたっての同意書が必要になるみたいで後日送ってくれるとのこと。

その次は母の施設に行く。
いつもの相談員さんはお休みでいない。
私が今日来ると申し送りを受けたらしい職員さんが「お待ちしてました!」といい、私に請求書、領収書の入った封筒を渡してきた。

なんか、こういうことを言われると、ここの施設はそれでなくとも家族を引っ張り出してきたがってるのは、事務処理や切手代すらケチりたいから家族を呼び付けたがってるのでは?とも感じてしまう。やな感じ。
何も言わず、「あ、そういえばこれ、ついでとは何ですがお持ちください」とか言っただけならまだ受け取りの印象も違った。
施設に対して好印象だったら、入所者の気持ちに添ってなるべく家族との密な触れ合いをポリシーにしているんだろうとか考えてあげられるんだろうけど今日のこういうことといい数々の件が腑に落ちないからな…

母の部屋に行くと、ちょうど男性介護士さんが車椅子の母の歯磨きをさせているところだった。
お昼終わったくらいの時間だったから。

歯磨きが終わると、ベッドに移動させる。
単なる移動なのに、ベッドに移される時に母は苦しそうに顔を歪めて「痛い、痛い」と言った。
そんな状態を見るのは初めてだった。

「苦しそうにしていますが、あれは何を苦しがっているのですか?」
「もう、動くだけで一杯なんですね。どう動いても苦しいと。寝たきりになる寸前ですね…」

母は面会のたびにどこかが一層悪くなっていっている。
手首の曲がり(拘縮)も変わらずだ。
そういえば、今日はプロテクターを付けてない。???

男性介護士さんが機先を制するように、「手の支えはこの後(他の介護士さんが)付けると思います」と言ってきた。
介護士さんが母のメガネを外して横のタンスに置こうとすると、母は「メガネ、メガネ」と比較的大きな声で拒絶して、直させた。
「でも寝たらメガネ落ちちゃいますよ?」とおどけるように介護士さんは言ったけれども、満足そうに黙る母。

介護士さんが部屋から出ていき、私は近づいた。
母は無表情、無感情のような目でじっとこちらを見てくる。
何も返事が無いだろうなと思って、また、返事が無かったら私が悲しくなるとも考えて、私は一方的に話した。
「久しぶりねー。来たよー」
「…」
「今日はよく晴れてるよー」
「…」
2分間くらい見つめてきただろうか?

入所してきたばかりの頃、こうして見つめ合った時には、「なんでそんな見てくるの」と若干不愉快そうにみえた時があったのを思い出して、私は体勢を変えて視線ががっつり合わないようにした。
すると、スーッと目が閉じていき、母はそのまま寝てしまった。

そのまま部屋を出ると男性介護士さんがいたから、「次は20日に来ます」と声をかけた。
「伝えておきます」と言われ、そのまま退出した。