母の施設から呼び出し

新型コロナが今最も感染者数の発表が落ち着いているということで、母の施設から「いまのうちに一度来てほしい。お話したいことがある」と連絡が来たので行った。
成田空港はいままで見た事がないくらい空いていた。コロナ時代前と比べると1/3〜1/5くらいの人出か?

母の面会&お話だったが、予約を入れていた時間より30分早い10時に着いてしまったのでまずは話からという事になった。
ロビーに入る前に、持ち物として頼まれていた事のうちのひとつ、コロナワクチンの証明書の提示を求められたので見せた。

看護師長と、母の主として担当してくださっている介護士さん、ケアマネさんと席についた。

看護師長さんが開口そうそう切り出す。
「もし万一病院搬送になった場合の立ち会い、今後の治療方針の取り決めはどうしたら良いかということについてです。遠方にお住まいでいらっしゃるので何かあってご連絡してもすぐ来られませんよね。そして病院搬送してすぐに、治療方針や入院のための署名などを求められた場合、キーパーソンから方針を聞いていると伺っている私達でもやっぱり部外者なので、無理なんですよ。ご家族の方か、7等親以内での血縁の方の立ち会いじゃないととなってしまう」

そこでしばらく、「キーパーソン(私)から依頼を受けたということで、すぐに駆けつける事のできる親族の存在があるか? 其の人に頼めるか?」という話になった。
保証人にもなってもらっている叔父はいるが施設までは電車で2時間。後期高齢者なので難しいという話をしていく。
やがて、話は「そもそも病院に入院ということは現実的であるか?」という方向になっていった。

それぞれの立場からの話をまとめていくと…

「病院の方針的には、治ったら退院してもらいたい → 施設に戻ってももう、以前施設で暮らしていた時のような過ごし方はできなくなっている。病院は介護とはやはり違うので、食事もできないし点滴となってしまう。口を使わないでいるともう戻ってきても食べられなくなるので、そうなると退所して介護療養型医療施設への入所が必要となってしまう。病院はただ点滴で延命させるだけ。その上、近年の方針でいつまでも入院させていてはくれないし、また(療養型)施設探しをしたりという必要が出てくる。ここ(特養)でも看護師は在勤していますし、ある程度までは医療対処できますから、専属のお医者さんのご指示を仰ぎながらできるかぎりの対処をしていき、慣れた施設でゆっくり暮らしていきながら、お看取りをしていけたらと思うのですよ」

ということになり、ちょっとやそこらの事では病院搬送はしないという話で終着した。
というか、みなの話しぶりから、以前までは(ちょっとのことでも)病院搬送しないといけないのかな?と思って言葉の真意もわからず搬送希望にマルをつけていたものだ。
まあ、入所した2年前を考えたら、あの当時は搬送や治療、その他に耐えられるかもしれないとは思う。通院介護もできていたし、病院の長い待ち時間にも「まだ?まだ?」とこちらに訊いてこれたものだ。
今は…完全介護でかなり介護度としては重い。もういつその日が来てもなんら不思議ではない。

方針がまとまったことで、面会時間が30分ずれこんだが久しぶりの母との対面になった。
マスクは当然のこと、さらに事前に持ち物として頼まれていたフェイスシールドをつける。
母はなんだかお肌がすべすべして、さらにシミなども消えたかのようになってたいへん美肌、色白になっていた。
しかし目はしっかり閉じて口が半開きになっていた。
もう目はほぼ普段から閉じていて、たまに目やにを拭いてあげる時くらいしか開けられないらしい。
もう話す事はできないし、呼びかけにもあまり反応はなく、言葉を理解できているとは考えにくいと聞いた。
身体がねじれるように拘縮していっていたが、マッサージの効果もあってか急激な拘縮は緩やかに止まり、拘縮予防のためにクッションを入れて体勢保定をしたり色々尽くしてくださっていることを聞いた。

そして介護士さんが、ポカリスエットを少し硬めの寒天のようなもので混ぜた水分をシリンジで補給するところに立ち会った。
飲み込む力がどうにかあるのでこのような方法でも食事(?)が摂れていること、医療視点からするとこのような方法は「食事」ではないから止めてと言われている方法らしいが、それでも本人の口から摂れる「食事」に近い栄養摂取方法として何とかこの方法を選択していることを聞いた。
かなりむせ込みながらシリンジで何往復もしてコップ1杯の飲み物をもらっていたが、この「むせ込み」もやがて出来なっていくと、肺に貯まっていって「誤嚥性肺炎」を発症して高齢者は死に至るという話を聞いた。

水分補給が終わると、「10分くらいお二人でお過ごしくださいね」と人がいなくなった。

ゆっくり話しかけたり、名前を名乗っていたりしたが無反応。
ちょっと諦めて、母の動画を撮ったり一緒に撮影してみたりした。
でもまた声掛けを再開し、「○○(名前を言う)が来たよ」「おじさん(名前を言う)と手紙してるよ」とか、母の兄弟の名前、母の名前を言っているうちに…

それまで閉じられていた母の目が、だんだん開こうとしだし、焦点のあわない目が目やににうもれて薄く開きはじめた!
黒目が上の方を向いている感じだったので、私と目が合うような位置に顔を寄せてみた。
すると私を認めたような瞳になり、だんだんだんだん大きく目が開かれてきた。

それはまるで、光のない深淵にただ一人座り込んでいた母が、出口に気がついて必至に外に出ようとしているかのようだった。

目が開かれ始めたと同時に、何かを言いたげに、口を動かし始めた。
しかし声が出ない。
声を出したいようで、かなり激しめに口を動かしたり、発声しようとしている様子だった。
ずっと目をとじて苦悶していたような母の表情の時と違い、こちらの存在を認め、あきらかに何かを訴えようしていた。
でも苦しみ以外の感情を作れる表情がもう作れないのだろう、再会を喜んでいるのか? 苦しみを訴えているのか? (以前にも私に言ってきたことがあるように)こんなとこに来てはいけない、帰れと言っているのか?

こんな状態の母なのにここまで頑張ってくれたのに、訴えがわからないのですごく申し訳なく、悔しく、残念でたまらなかった。
そのうち介護士さんたちが「そろそろお部屋に戻りますよ」と来たので「母の反応があったんです!何か訴えようとしてきているんです」と言ってみる。
ケアマネさんが介護士さんに「何か最近話せたことある?」と訊くと「痛いとかはあったかな…」と介護士さん。

思わず言ってしまう。
「チャンネルが一瞬合った、とでもいうんでしょうか。話は成立がめったにしてこなかったんですが、たまに成立する時もあって、こちらの施設に入所した時にもなんだか色々認識していなかったようなのに一瞬だけ“ここ(施設)は大丈夫なの?”って訊かれた事あるんですよ。なんだかその時を思い出しました」
ケアマネさん苦笑い(?)。「そういう時もあるんじゃないかって時はありますね。わかっているかもしれませんね」

ぼんやりと興奮状態で夢うつつのようなまま、施設を出た。
ただただ、あの一瞬が「最期の、今生の別れだったから生まれた奇跡」だとは思いたくない。