両親の特養にハシゴで行く(父、看取り契約)

父の施設からは、たいてい訪問時刻の指定がある時には医者の診察時刻朝9:30に合わせて来てくださいと言われていたが、今日の指定時刻は珍しく16:00だ。
なので先に母の施設に行ってみる。

母の施設

私が来たときいて出てきた看護師、ケアマネさんらにまた、「待ってたんですよ」とか言われる。
この言葉プレッシャーになるんだけど…何事かあったの?とか、もっと、本当は毎日来てほしいって意味?とか、不安要素しかない。
毎回こんな言葉をかけられると訪問はあまりしたくない嫌なこと、と刷り込まれる感覚になる。

看護師さんが、しきりと繰り返すように「整形のお医者さんがもうこれで出来ることは無いとおっしゃられるけど」とか、「まだ他に出来ることを試せたら…」とかも言ってくる。
その言葉を聞くと、「え、何? まだ、こちらにドクタージプシーしてほしいってこと?」と身構えてしまう。
今回はそれ以上は言われなかったけど。「私達はもう医療面でやれることはしましたよ」という、単に責任転嫁の言葉かな?

で、本筋に戻るが、母の状態として説明されたこと。
母は今まで手首の拘縮だけだったが、右腕だけは、だんだん肩、肘から内側に丸まりつつあるらしい。
これが縮こまった状態で固まってしまうと、腕と身体の間に隙間が無くなって介護士さんは着替えをさせられない問題が起きたり、褥瘡が出来たり、ますますケアが大変になる上にそれによるダメージが増えるという。
今は身体との間にクッションを入れるなどしてそれ以上曲がらないようにしているらしい。

それと、今まで手首に拘縮予防のプロテクターを付けていたが、擦れて腫れ傷になっていることと浮腫が酷いので試しに一日はずしてみたら改善したので、もう拘縮する事にこだわらず外してみようかと思っていること。それについてはどう思われますか?と。私は、母が苦しむことを一番避けたいので、たとえ拘縮で手首が曲がったままになろうとも痛くない方向、つまりプロテクターは外してもいいですと答えた。

どうも、結果はほぼ決まっているのに念入りに私の返答を再確認されている様子から察するに、もしかして本人の苦しみより見た目を重視する入所者家族がいるのかな?
「おかあさんの手首が曲がっちゃっている!かわいそうに!何がなんでも直してあげて!」とか。「手首を真っ直ぐにさせるプロテクター欲しいというから探して買ったんですよ?付けてください!」とか。
いろんな考えの人がいるから、わからんからな。

あと最後に、ますますものが食べられなくなってきているらしい。
スプーンを入れられるとガッチリ噛んで、離さないと。看護師さん視点では、拒絶をしているように見えるという。たとえ好物のはずのおやつでも。
私が前回おやつ時間に遭遇した時は、自分から進んですぐに口を開けていたので気持ちは拒絶ではないと思うんだけどと言ってみる。ただ、スプーンを入れられる時にどういう口の形をしていいのかわからなくなるように見えるとも。

なまじ自歯なだけに、歯が折れるかもしれない懸念があるという。それで、今後はいよいよ濃いコンデンスミルクみたいな栄養食を追加していく可能性があるという確認。
ただ、これは異様に甘いらしく、糖尿病もちの母にはあまり良くはないという…

ひとうひとつ確認されたが、命に関わることだから仕方ないのかな。
こちらはひたすら「胃ろうは考えていません。自然に。とにかく本人の痛み、苦しみが一番無い方向で」と答えるしかなかった。

自分で意思を示せなくなった以上は「介護方針は家族が決めること、決めていいこと」と言われるが、しんどいわ。
安楽死制度のあるペット業界だったら何するにしてもあからさまに苦しそうにしていれば、「安楽死を」と希望したりするだろう。
安楽死制度のない人間だったら、痛みを伴う加療はしないことが本人にとって楽になるのであればその道を選んでしまう。

しかし、「食」に関しては。
痛そうでも苦しそうでも食べようとしている。食べようとしているってことは生きたいっていう本人の希望の体現。
意思を言葉で示すことが出来なくなった以上は反応から本人の意思を汲み取るしかない。

健康で長生きは理想だけど、しんどい時間を耐えて、耐えての長生き。認知症だから、より本能に沿って生きるようになる。生き物だから死ぬのは怖い、死にたくない。
もっと若くて健康な時の母に今の母の状態を見せて訊いたら、どう答えるだろう?
「いやだわ。こんななって苦しみ続けるなら、死なせて」って言うような気はしてる。というか、実際に言ってたと思う。(だから胃ろうは即座に断った)

人生の終末をこういう状態で堪えるって、どんな罰ゲームだよと思ってしまう。
せめて、認知症さえ無かったら…それとも、認知症のおかげでもっと死期を恐怖するはずだったところを回避できているのだろうか。

とりあえず方針を再確認し合った後、母を見舞いに行った。
ちょうどお昼だったので、母は談話室で食事介助をしてもらっていた。

いつもの男性介護士さんがいて、「起きている時は目を開けなくなっちゃったんですよ。ベッドに寝ると、少し開けることはありますが」と言ってきた。
びっちり目が閉じたまま、食事をさせてもらっている。
そして、何か触れられたり、衝撃が車椅子に伝わるだけで痛そうな、怖そうな表情になり、ビクッと反応する。
もうどんどん、出来ることはなくなっていってるし、極力何もしたくない様子が伺える。
食事介助は他の入所者さんと順番こで、ゆっくりペースで行われるので、待ちの間に髪の毛を撫でたりする。
髪の毛を撫でるのは序盤は気持ちよさそうにも見えたが段々眉をしかめて触れるたびにビクッとしはじめたので、少し出ている脛を手でさすったり温めたりしはじめた。

母の脚は冷えていて、私の手は暖かいので気持ち良いのか、ずっと手で触れてさすったりしているぶんには安らかな顔でウトウトし始めたようにも見えたので食事の順番が来るまで続ける。

食事が終わった後は歯磨きをしてもらうが、ちょっと前まではうがい受けでなんとか口からゆすいだ水を出せていたこともあったけれど、今はもう水を出すことは無理なので水みがきをして終了ということらしい。
見ていると一応声掛けに合わせて歯を剥き出す協力はしている様子があるので、歯磨きの必要性はなんとか理解できているっぽい。
だけど、介護士さんは「歯ブラシも噛んでしまうのでせめて前歯だけなんとかって感じです」と言う。
歯ブラシを噛むと噛んだまま離さなくなるので下手をすると折って飲み込んでしまう可能性があるそう。

口腔ケア後はベッドに寝かせてもらう。
いままでで一番安らかな顔になった。やっと嫌なことが終わった、これで休める…って感じだろう。
片目だけ少し開けた。視線を合わさせると追従してくる。認識できたかな?
黒目がちで、目がきらきらしていて、怯えも恐れもない、赤ちゃんみたいな眼差しだ。
もう何も考えてないのかな?という感じ。

ちょっと視界外に出たらもう、すうっと目を閉じて眠り始めたようだった。
いつものように退室前に寝顔をスマホで撮影する。

今日の母は今までで一番安らかで、横になるとシワも流れるのか肌にピンと張りが出て、少女のような印象だった。

父の施設

父の施設は、内科との看取り契約のために指定された時間10分前くらいに来た。
だけどいつものように待たされて、45分くらい待っていたと思う。その間ずっと父と話したわけだけど…

父はいつものように談話室入り口近くのTV前に陣取って座っていたが、こちらを見て「来たのか。いつ来たの?」と言ってきた。
前回ほど目が腫れていない。手もクリームパンみたいに腫れていたのが比較的腫れがない。
こちらにもすぐ認識をしたので、記憶の混濁もないようだ。一見、すぐにでも“その時”が来るような状態の人間には見えない。

「頼むよ〜、お金をいくらかもたせてよ〜。困るんだよ〜」と言ってきた。
「何に必要になるの?」と訊くと、「鉛筆とか」と言うので、テーブルの上にある色鉛筆がいっぱい刺さったペンスタンドを手で示して「ペン借りればいいじゃん」と言った。
でも繰り返し「困ってるんだよ〜」と言ってくるので、初回だけは「ここはお金が必要ない場所なの。お金を持つとトラブルになるから持たない決まりなの」と言ってやったが、二度目からは適当に「そう。困ってるんだ〜(同調)」と切り替えしておいた。拒絶すると後の介護がやりにくくなるからな。

記憶の混濁が少しあり、家じまいをしたことは忘れていた。「今家には、誰がいるのかな」と言ってくるので「誰もいないよ」と言ってやる。嘘ではないし、下手に家じまいのことを話して興奮されても面倒だ。
「そうか。寂しいな〜」と言ってくる。
「つい、帰るのが面倒になって、ここに居てしまうんだ」とか言ってくる。ホテルか何かに泊まっているつもりになっているようだ。
母はどこにいる?と訊かれたから、病院にいる、と曖昧に答えておく。

母の食事介助の動画を見せてやると、眉を寄せて「老けたな〜」とか「やっぱりボケてるの?」とか言ってくる。
「言っちゃえば、そういうところ少しあるね」と答えておく。あんたも相当だよ…とは思ったけど言わない。

いつものように、私が着ているニットの柄が良いとか、鞄が舶来だとか言ってくる。元アパレル業界の営業なのでそういう関心、記憶はあるんだろう。
毎回のようにこの鞄は義母さんに貰ったもの、と説明すると、「○○県の?」と言ってくる。意外にそこの記憶はつながったようだ。

認知症の人はまだらに記憶が鮮明なので、うかつに適当なことを言うことは出来ない。
介護している人の間では「今回線がつながっている」などということもある状態だ。
信用を損なって介護がしづらくなるので、本当のことか、嘘ではないこととか、後でいかようにも言い繕える程度のことを話すのが無難だ。

しかし意外に穏やかに安定しているように見える。これが、夜間に暴言、暴力で興奮しているんだろうか…近況を聞こうにも周りの介護士さん達は忙しそうだ。

内科の先生が来たとのことで退室する。
廊下の応接室みたいなところで、これまた6〜7人くらいの関係者が集まる。
なんだか、物々しい雰囲気だ。

内科の先生はキャラが立っていて、若いような高齢のような、不思議な雰囲気の女性だった。
今の父の状態と加療内容、看取りの段階である老衰の兆候が7、8月から(浮腫として)始まっているという説明、それによりいざ緊急事態になったらどうするかという説明、それに必要な契約をした。

父は心不全、心房細動(不整脈)を比較的若い頃から持っていて、今投薬されている薬が心臓への負担になる薬なのでいつ何どき危篤になるかわからないと。

なんだか皆の雰囲気がすでにお通夜である。
さっき話してきた父は、割合いつもどおりで一見元気にも見えるのに…?
あれ、もしかして近く、本当に死んじゃう前提の話…?
家族を苦しめてきた父なんか、早くいなくなれと思ってきたが何だか不思議だ。
涙は出ないが鼻水が出てきて、署名をする前に「ちょっとすみません」と鼻をかんだ。

「いつもありがとうございます、引き続きよろしくお願いします」と挨拶して解散。
作った契約書の控えを用意するから少し待っていて欲しいという。

また談話室の父の所に戻る時に、介護士さんとちょっと話をした。
「薬が効いて状態が安定しています」と言われる。
しかし思えば、今までさんざん「効く薬は強い」と説明されてきたのだから、つまりはそういうことなのか。

バカじゃないのだから、「全部いちいち説明しないけど、つまりはそういうこと」なのだろうか。
私の「父にひどいめに合わされてきた。それで遠距離に住むのも厭わなかった」という言葉を受けて、「これは家族からも見放されている、介護もしづらい、言ってしまえば不要の人だ」と、合法的に早くお休みになってもらうよう処方なのか。安楽死制度が無い日本だから。

母は、生き続けているのが苦しそうで見ていられないところがある。早く安らかになってしまってくださいと思うことがある。
父は、本人も苦しいみたいだし、周囲は振り回されて困っている。早く安らかになってしまってくださいと思っている。

両親の死を早く願っていることが、罪悪感も覚えることもあるし、「いや、もう平均寿命以上生きたんだから仕方ないでしょ」と淡々に考えたり複雑な心境だ。
どちらが早くゴールを迎えてもおかしくない状態で、今年はもう年賀状を準備したが、来年は作れないような気がしてる…