母をもの忘れ外来に連れて行く

今日は自分の体調が不安定な中、2週間以上も前から母の初診予約をしていた病院に行く。
熱中症で倒れてまで事前問診票を取りに行ったのに今回行けなくなってしまっては報われないから頑張って行った。

9時からの予約なので、8時半に特養を出発できるように着いた。
相談員さんは(病院到着までは自分も付きそうから)支度をするので母を連れてきて欲しいと言ってきた。
談話室に居た母は車椅子でTVの前に座らせられて傾眠していた。

座らせられて、というのは、これまでの母を考えると、母の意思でTVを観たがったようには思えなかったから。

とんとん、と腕を叩いて「おはよう」と言うと、母は私を娘と認識してかしないでか、
「おーはーよーうーごーざーいーまーすー」というような調子で母はたどたどしく口を開いた。
と同時に口からよだれが溢れ出て垂れた。

車椅子の足のステップ部分に足を乗せ続けるのが辛いようで、足をおろしていたのでステップに足を乗せるように足を曲げるがなかなか硬く曲がらない。
介護士さんに訊くと、「ゆっくり膝を曲げて乗せれば大丈夫です」と言われてやって見せてくれた。
しかしなかなか硬くなっている。腿も、脛と同じくらいの細さになり、とても痩せてしまっていた。もうこれでは、自力で立つことは無理なんだろうなという感じが見てとれる。
しかし二ヶ月前に問題視していた足の浮腫だけはどうにか無くなっているようだ。

相談員さんが介護車に同乗してくれ、病院へ向かった。
病院自体は休みで、もの忘れ外来は受付しているという日だったが緊急外来の受付口から入る。
相談員さん、介護車の運転手さんとはここで別れた。

一番乗りだったが9時になっても診察は開始されず、途中血圧測定もあったが30分近く待たされた。
母はもう何も言わなくなっていて、車椅子で大人しくじっと座っているだけだった。
立ち上がりたいのかわからないが、何度かもぞもぞ体を浮かしかけたがすぐに座る。座り続けて疲れただけか。
7月の通院の頃にはまだ、そわそわと「あっちに並ばないとダメ(並ばないと、順番が来ない)」だの、「私もうダメなんでしょう」などと言って不安な表情のまま固まっていたけれどもうそういう段階ではないみたいだ。

ようやく呼ばれて診察。
医師の質問にうなずきで答えようとする母に、医師は「自分の言葉で返してください」と言う。
それ以降は言葉でなんとか答えようとしていたから、一応意味はわかったようだ。
「ここはどこだか分かりますか」「…」「私は誰だかわかりますか」
どうにか「…お医者さん」と答えた。

後は指の動きを目で追ってください、とかこれは普通にクリアできた。

その後はよくある「今日は何月何日ですか」等のテストをする。
母はもう物の名前も出せなくなっていて、時計・歯ブラシ・鍵・鉛筆などの雑貨の名前のうち、出せた言葉は歯ブラシだけだった。
その後、雑貨の入った箱を閉じられて「何がここに入っていましたか」には答えられるわけもない。

「桜、猫、電車。この言葉を繰り返してください」
ちょっと間があったが母はなんとか繰り返す。
「じゃあ、一分後に訊きますからね。同じ言葉を言ってください」

その後は100-7はいくつ?だの、かなり高レベルな質問をされる。
どれもこれも、全く答えられない母。
私だってボーッと生きているから、今日が何日だったか、何曜日だったかなんて咄嗟に答えられない時もある質問も出たのでビクビクする。
あとでまた訊きますよと言われていた3つの言葉をまた要求されたが当然出てこない。

この一連の認知症テストは30ポイント制だったが、母は3ポイントだった。
質問に正しく答えられるかどうかだけが加点ではなく、「質問の内容は理解しているか?」とか、反応はとかそういうものも含んでいる。
「歯ブラシ」と答えられたのがどうにかそのうち1ポイント入っているようだ。

診察室から一旦出て、MRIとCT・血液検査・血圧測定をすることになった。
人生でMRIをするなんてそうそう機会は無いと思うが、親子で連日するなんてな。

看護士さんが採血しようとしたりMRIをさせるなど何かをするごとに、私に「何々をさせることは可能ですか?」と訊いてくるが、今は施設に母の世話を任せている以上、残念ながらさっぱりわからない。
こういう質問もあるからこそ、付添は直近の容態を把握してる人じゃないと意味がないんだ。
母が車椅子の足のステップになかなか足を乗せられなくなったのを知ったのだって、今朝だったというのに。

「針をこちらの腕に刺して大丈夫ですか?」「たぶん大丈夫です」こんな答え方しかできない。
採血で針を刺されて母は「痛い」と普通のトーンで声が出た。
でもその後は大人しくしていた。
体がずっと弱くて、病院は大事なところ、検査も大事、お医者さんの言う事は従わなくてはならないという染み付いた意識が大人しくさせているのか。

採血の後はMRI。
若くてせかせかした女性看護士さんから「会話は出来ますか?」と訊かれ、「優しいシンプルな言葉ならわかると思います」と答える。
「立てますか?」と訊かれるがこれは直近を知らなくても答えられる。「無理です」
「じゃあストレッチャーを用意しましょう」
女性介護士さん二人がかりで車椅子からストレッチャーに移動させられる母。

その後MRI、CT検査が済むまでしばらく待った。
私のMRIに掛けた時間より短時間で済んだような気もする。
待合室で検査の診断結果データDVDが焼き上がるまで待ち、出来たDVDを持って再度診察室へ。

そこで母の検査結果と健康な人の各世代の結果を見せられながら説明を受ける。
脳みそは高齢につれ隙間が出来てスカスカになっていくが、母ももちろん相応かそれ以上に隙間ができまくっていた。
中でも、記憶を司る海馬が、健常であるならシルエットが白く映るものだが、母のは真っ暗で「ほぼ消失」と言われた。

認知症は脳の前部がやられると前頭葉型、中部がやられるとアルツハイマー型、後頭部がやられるとレビー型の3タイプに分かれるが、どの順番でかはわからないが母の少し前からの症状から察するにアルツハイマーやレビー、どちらかが起こり始めてから全体がまんべんなく起こり、認知症の末期という説明をされた。
想像はしていたがやっぱり母はもう、その場その場での快不快でしか反応していなかった。
意欲はなくなり、こういう状態からやがて傾眠が多くなり、意識障害が多くなり、食べることも忘れ、食べた時にむせて肺炎になって死に至るようになりますと説明をされる。

よだれが出るようになったのは意識障害からによるもの。
手首の曲がって硬直しているのなんかは、興奮を落ち着かせるセレネースを飲ませてきたからこの影響もありえるという話はされ、先日の内科通院と同じ通告をされた。
「どの状態も良くする薬はない、また、薬を変えても試すという形になってしまうし、どういう結果になるかもわからない。自分の診立てとしては今のまま維持がベスト。でも、セレネースを減らして様子をみるというのもアリ(だけど指示はできないから家族が判断して、という感じ)」

他に何か気になることはありますかと訊かれたので「良くはできなくても痛がってるのだけは可哀想でなんとか取ってあげたいと思っていて、この手首の曲がりによる腫れなんですが、薬の増減でマシにすることは出来ますか?」と訊く。
すると、「これはリハビリでしかよくならないね。でも、整形外科に連れていっても、リハビリの人に頼んでも、本人が痛がったら施術を辞めてしまいます。リハビリというのは本人に頑張ろうという意欲が無いと無意味なんです。勉強嫌いの子に大学入らせようとするのと同じ」
「また、リハビリするのであれば、ここまで硬直が進む前になんとかするのであれば改善できたかもしれない」

…手遅れか。でも、色んなことに限りがある以上は、どうしようもないのかもしれない。

「こちらからの提案としては、絶対にお勧めというわけではありませんが一応こういうものがあるということをお伝えします」
フェルガードという認知症進行を遅らせ、場合によっては改善が見込めるかもしれないというサプリを紹介される。
しかしこれ、保険対象外で月に8千円かかるという。
臨床試験も良好で、問題点の消失はみられ、実際に使用した人の8割からは好感を得られているそうだが、遠回しに“絶対に効くというわけではない。気休めかもしれない”という事は念を押されたので良心的な先生なんだろう。
「うちの病院でも購入できますし、インターネット通販もできる」と聞かされる。
サプリが買える券売機があったが、持ってきた現金もたりなくキャッシュディスペンサーも無かったのでやめておく。

後は会計だけになったので、施設に迎車依頼の電話をかけて会計処理。
車椅子で傾眠している母がこちらに気づいて目を覚ましたので「ごめんね、会計終わったからもう少しで車が迎えに来るからね」と話しかけた。
「疲れたでしょう」と母は言った。
不思議なものだ。まるで状況が判っているかのように母が労りの言葉を掛けてくれたので泣きそうになった。

言い方はよくないがもうほとんど、脳みそが空っぽと宣言されたような気持ちになっていたから、この状態で母からそんな言葉がまだ出てくるとは思わなかった。

迎車が来て施設に戻り、母をすぐに談話/食事室のほうに連れて行き介護士さんに後を頼む。
それから相談員さんに今日の状況を説明し、相談員さんはメモを取った。

そして、施設の人が病院に付添に行けないのを言い訳するかのように、「あまりに早く(老化)症状が進んでいるのでちょっとこれは、病院で診察をきちんと受けて高齢者対応の専門医に意見を聞くべきという話になった」とか、「介護士さんたちはよく頑張ってくれていて、母の食事は一回に1時間かかるが根気よく食べさせてくれている」という話を始めた。
実際母には手がかかるようになったし、介護士さんたちは食事介助で頑張ってくれているし、一人だけにそんなに介護士さん付けてつきっきりにさせれないし、はっきり言われたわけではないが現場では人が足りないのは事実なんだろう。

また、最近の状況として聞いたのは、母は私の名前を忘れてきていると言う。
たまに出せることもあったり名前に反応が出来るが、咄嗟に出ない。

でも、父のことなんかはとうに忘れ、あんなに気にかけていた息子の存在も忘れたのに、末期の末期まで私の顔を認識でき、名前も比較的覚えていてくれたことに対してはとても嬉しく思う。
だって私は、母からは望まれて生まれていない子だと思ってきたから。
たった数ヶ月前まで、母だけのアルバムを覗いた時まで、母はやっぱり私を生んで後悔してたんだと思ってきたから。

最近TVで高嶋ちさ子が、母親から「ダウン症の姉の役に立たせるためだけにお前を生んだんだ」と言われたという話題になっている。
彼女は成功しているし気が強いから、TVの手前かどうかも判らないが気丈に「色々言われているけど私は気にしていない」と言っている。
私は子供の頃は「こんな事親に言われたが気にしていない」と言ってきたが、ずっと覚えてきてここまで来たってことは気にしてきたんだろう。
高嶋ちさ子だって今さらそんな話をしたのは、やっぱり思うところがあったんじゃないかと思う。
本当に気にしていなかったらそんなやりとりすら覚えていないはず。

親の何気ない一言っていうのは真実が現れていて、子も敏感に感じ取るから、大げさに言っても子の将来、親との関係がそこで決まるように思う。