母の米寿の誕生日

今日は母の誕生日だから、施設に訪問に行くことにした。
プレゼントとして、文明堂のプリンを買っておいたのでそれを持っていくことにする。
義母さんが、私の出かけ支度中、プリンを持っていくのを忘れないようにと小さい袋に入れてくれて目に付きやすいところに置いておいてくれた。

この小さなプリンが最後の誕生日プレゼントになるかもしれないと思いながら持っていく。

熱中症で懲りたので、今回もまた一昨日同様、出かける時には凍らせたペットボトルを買って行ったし、特養の最寄り駅から路線バスを使用した。

施設に着き、母の個室に行くと母はベッドに横になってはいたが、割としっかり目は開けていた。
今日は、口が開いていなく、わりと閉じていた。
この間まで、まるでワッと叫びだしそう、恐怖のような表情に固まっていた時を考えると、だいぶ落ち着いた表情だ。

私が数週間前に設置しておいたラジオがかかっていて、聴いているのか、聴いていないのかはわからないがFMからHIPHOPが流れていた。

「来たよ。今日は、○○さんの誕生日だね。おめでとう」
「そうなの?」
母は苦しいのか嫌なのかよくわからない表情に顔を歪めるようにして答えてきた。
あえて、何歳の誕生日だね、とか年齢は言わないようにした。いままで死を怖がっていたから。

「今日は暑いよ」などと言ってみたが母は黙ってこちらの目をじっと見てきていた。
読み取れない表情。
もう、6月くらいからとっくに、笑顔は出来なくなっていたし表情はよくわからなくなっていた。

それから特にお互い何も言わず、目を見つめ合ったりしていたら、男性介護士さんが来た。
「これから入浴の時間なんです。入浴前に出来る限り寝れたらと思って寝てもらっていたんですけどね」
そう言いながら、母をベッドから車椅子に移し、しばらく談話室で待っていた。

入浴用の支度があるらしく介護士さんが離れていき、戻ってくると「一番の人が来ていないので先にしますか?」とこちらに言ってきた。
先にする、の意味がよくわからないので聞き返すと、詳しく説明しなおしてくれた。
「一番に入浴してもらえれば、ご家族様は少し待ちますが入浴後の時間がたくさん取れます。後からの入浴だと、ご家族様の待ち時間が無く、先に団らんいただけます」

なるほどね。「時間がいっぱいあるので、先に入浴お願いします」と言い、母はお風呂場に連れていかれた。

30分くらい待っている間に、談話室で一人、切り盛りしている60歳前後くらいの女性介護士さんの様子を眺めたり、会話したりした。
今日は誕生日なのでプリンを持ってきたことを言うと、御本人の好物持込みは歓迎ということを話された。
入浴後にちょうど施設のおやつの時間になってしまうので、施設のおやつも出るがプリンも出してみるということになり、プリンをとりあえず冷蔵庫にしまった。

母がいない間に、母の今の様子も聞いた。
本入所の部屋に移ってから全然お話してくれない、ということを聞いた。
今日のお昼(誕生日なので特別メニュー)も、ショートステイの部屋の方で取ったそうだ。
そちらの職員さんとは比較的、話が出来ていたらしい。
たしかに、この間の母の様子を見ていても、認知症なりに覚えていて、人の好き嫌いがあるようだった。(あの人には何か頼むな、とか言い出したり)

また、母に限らず、お試しショートステイから本入所になった認知症の人は、人によっては「もう家に帰れない所に来た」と鋭く察知してふさぎ込んだり状態が悪化する場合があるという話を聞いた。
どうも母もそうじゃないかと思われているっぽかった。

また、今日居合わせた別の女性介護士さんからも、「元々は○○県に住んでいて、旦那さんを残して、こちらの旦那さんの実家に来ているんですよね?」と確認されたので、どうやら私の状況はかなり知れ渡っていて、もしかしたら遠くに帰っちまって呼び出しに応じなくなるんじゃないかと警戒されているんじゃないかと感じた。
なので、「母のためだけでなく義母さんのこともちょっと心配なので…」と言ってみた。嘘でもないし。
「そうね、私達はそういう世代ですもんね」と納得されたので、歪まずに他の人にも伝わって欲しいものだと思った。

そうこうしていると、少し疲れたような母が車椅子を押されて戻ってきた。
今度は、口が開きっぱなしになってしまっていた。
疲労などのストレスでこうなるのかもしれない。

湯上がりなのにエアコンかかっている談話室で薄めのカットソー1枚のみだったから、袖から出ている腕が寒そうだったのでさすっていたら少し目がトロンとしてきた。
高齢者って実際より寒くは感じているし実際冷えやすいのに、なんで羽織もの着せかけてくれるとか肌掛けとか、あまりしてくれないんだろう。
こういうのは、苦情窓口に言ってもいいのかな…

そのうち母が、じっと私の目を見てきて、「顔がキレイね」と言ってきた。
これは美人という意味ではない。
同居してた時にも時々言ってきていたが、もう最期を迎えつつある母は若さへの執着があるのだ。
もの忘れ外来で検査を受けて、ほぼ脳が機能してませんというような事は言われても、凄く執着していることは残っているようだ。

おやつの時間になって栗羊羹と飲み物が配られ、私の持ってきたプリンも出された。
母のついているテーブルは重症の車椅子の人が他に二人いて、ほぼ自分で食事することができない。
もうひとつのテーブルの人達はそれぞれ普通に飲食したり、自分で談話室のカーテンをしめに行ったりしている。
今日は私が来ているから家族が食事介助すると思っているのか、介護士さんは他の二人の介助をしている。
(こうなってからの食事介助したことないし、この間は好きなおやつでも拒否されたし私から貰いたくないみたいなんだよな…)

食べさせることも、話すことも何もなかったので、カーディガンを持ってきて肩から着せかけたり、腕をさすっていた。
おやつを目の前にしても、何の反応もない母。
せっかくもってきたプリンとかおやつを食べてほしくて、時々、介護士さんに「私じゃ食べてもらえないと思うんですー」と助け舟を求めてみたが、介護士さんは母の方を向いて「○○さ〜ん、娘さんせっかく来てるじゃない〜どうして食べないの?」等と言うばかりで食事介助はしてくれない。

何も私ができることはないし、無気力な母を見ていたら涙が出てきた。

そのうちに母は「触らないほうがいいわよ」と言い始めた。
これはもう、帰すモードに入りだした。
「もうここにいないほうがいい。帰ったほうがいい」
「今日は時間いっぱいあるから」とか何とか言って適当に何度か過ごしていた。

「○○はもう帰りなさい」
お、名前を呼んでくれた。私のことを認識してくれている上、今日は名前が出せた。親っぽい言い方した。

こんな全拒絶モードで食べさせられるわけがない。
介護士さんに、はっきりと言った。
「もう帰れ帰れ言われ続けているので、こうなると私から何かしてあげようとしても無理なんです。私帰りますので、そうしたらおやつ食べてくれると思いますので、すみませんが、食べさせてあげてもらえませんか?」
すんなり介護士さんが「わかりましたー」と言ってくれたので、母に向かって言った。
「もう帰るよ。また来るよ?」

すると母は、ウンウンと頷いた。
また来るのはOKと意思表示してもらえたようで嬉しかった。