母の病院付添

満を持して昨日は早く寝る準備をしておいたので、疲れて帰宅後夕食をとり即寝したのでそれなりに睡眠はとれた。
朝6時に起きて支度。
バスタオル4枚とフェイスタオル4枚、コップ、うがい受けも持っているから大荷物だし大変だ。
しかし今日は土曜だったのであからさまに電車が空いている。出勤ラッシュが無い。

うたた寝でうっかり降車駅を2駅乗り過ごし、逆方向の電車を待ったら20分ロスしてしまって約束の時間に5分遅れてしまう不始末をしでかした。
こんなことなら、病院行くのいつでもいいですよなんて言わなければよかった。まさか翌日になるとは。
時計も見ずに一所懸命歩いて施設が見えた時に携帯の時刻を見ると、ちょうど約束の時間になってしまっていた。
あと3分で着きますと連絡をいれる。

特養に到着すると、もう介護車が後ろを開けて準備してくれている最中だった(遅れて申し訳ない!)
母ひとり、もう玄関のところまで連れてこられていて、車椅子で頭を垂れて寝ている。
職員さんは近くにいない。
土曜なので、特養の職員さんもなんだかあからさまに人がいない。

支援専門員さんから電話がきた。
支援専門員さんの席からは私が見えなかったらしく、私からも見えないのでお互いが「まだ相手が来ていない」と思いこんでしまっていた。

いったん支援員さんが母の容態を訊くために看護室に入ったが、なぜか急遽、支援員さんも病院に同行してくれる事になった。
現場の人じゃないとわからない事を伝える必要があるためのようだ。
じゃあ、なんで私も同行が要るのか…?
ここの特養は父の特養と違い、やたら駆り出されそうで不安だ。

介護車に乗り込んだ後、支援員さんはブツブツと、「これしか教えてくれないなんて…」と、看護室から渡された母の容態らしきほんの数行しか書かれていない資料を一瞬見せてくれた。
でも、仮にもお客である私にそんな内部の不手際を言いつけるわけにもいかないと思ったのか、見せたのは一瞬だけで、さっと口をつぐまれた。

支援員さんも、「私は4月から着任したばかりでまだまだわからない事が多く、不手際もあるかもしれませんが申し訳ない」みたいな事をやたら言うし、これは何か、うまくいっていなそうな施設だなあ。そんな不安になる印象があった。
父の特養も人の入れ替わりが激しいから、どこも問題が山積みなんだろうけど。根本的には「人が足りない」問題が全て。これはよく介護業界で言われている問題のようだが色んな所からヒシヒシ伝わってくる。

特養から病院へは、かなり車で距離があるところのようだった。20分くらいは乗るかも。
当然、今日は何やかんや遅くなったので病院はもうすでにかなり混んでいて、受付番号は281番だった。
でも、支援員さんは前日に電話をしておいてくれて、予約というわけでもないが一応話は通してくれているし、具合のわるい高齢者だから早めに順番回してくれると思っていた。外来待合室の人が相当残り少なく、まばらになるまでは…!
待ち時間は全く融通はしてもらえなかった。
ただ、途中で検査はあったから、検査の結果を出すのに時間がかかるという事もあったのかもしれないが。

母は病院に来たということで相当緊張しっぱなしで、自分は死んでしまうから連れてこられているのだと思っている様子だった。(やっぱり)

「私、死ぬんでしょう」を、5分ごとにボソボソと支援員さんに言ってくる。(支援員さんが接した方が母が柔らかい笑顔を見せるので私は母の背後側に座っていた)
言われるたびに支援員さんが安心させる声掛けをするが、その都度は安堵した表情をするものの、認知症状ですぐに忘れて恐怖が盛り返してくるらしい。

待ち時間の間は、母のこれまで少し元気だった頃の様子や今年になってからの経過だとか、家族の事だとかを支援員さんに話した。
支援員さんも、ヘルパーを15年位してきて、近県からやっぱり親が心配だから地元に引越してきてこの4月からこの職になったという話をしてくれた。

昨日初対面してから病院に来るまでは、この支援員さんはこちらに興味がないのかなあ仕事熱心じゃないのかなあという感じで、話した事も忘れられていた感じだったが、支援員さんもなりたてだということがこちらも把握できたし、色々雑談をするうちに打ち解けてきてくれたのか親身に話してくれるようになった感じがする。
病院の長時間付添は支援員さんの時間もかなり拘束してしまったが、良い効果もあったようだ。
ただ、母がやっぱり可哀想。こんな長時間につきあわされて体もしんどいし認知症だから心もずっとしんどい…今回は内科だけで診てもらったので、次回は脳神経科を受診予定なのでその時は早めになるよう頼んでみよう。

検査はレントゲンと採血だが、それらから見られる医師の診断としては、高齢者によくある感じの症状なので、特に大きい病気とかではない。
細かく細かく突き詰めていけば何か問題には当たるかもしれないが、かなり高齢ということもあり、検査をしまくって、薬を使ってどうこうというのもどうかと思う。
むくみについては体勢をかえる、歩くなどして血行をよくする、肺の汚れについては口腔ケアをきっちりとして誤飲性肺炎に気をつけて油断なく様子をみてくださいという話しかされなかった。

医者も話し始めはつっけんどんだったので、「早く仕事終わらせたいのかな?むくんでるのに、ちょっと触っただけでむくんでないとか言っちゃってさ」と思ったが、筋道通った納得の行く回答をされたのでそれも一理あるなと思った。
医師にとってはむくんでいる内に入らないし、年齢が年齢なのでもうだましだまし行くのが一番つらくないでしょ?という感じなのかもしれない。数年前にも母の肺の診察をした医師も同じ判定を下したということがあり、その時も父や叔父がモヤモヤした感じで結果を受け止めていたようだったから、相変わらずその時と同じかもしれない。

支援員さんも同様に診察後会計待ちの時に、診断に不満があるような事を言いかけたが、まあ医師が診断をしての結果なので報告をします…という感じで決着した。

母には支援員さんが「ご自分で動けるようにしたり、歩けるようにしたり頑張らないと」というと、母の口が閉じて、少し突き出すようなムッとした感じになった。そして何も言わない。
「○○を自分でやって。頑張らないと」と言われるシーンでよく見られる口の形に思う。「もう頑張りたくないのに…助けてほしいのに…」と不満がありそうだ。

会計は、検査ふたつと診察なのに1660円だった。さすがに1割負担は安いな!

特養に帰宅したのはもう2時に近くなっていて、昼食は2時間はとっておけるがそれ以上だと衛生面から破棄しないといけないというルールがあるみたいで病院からの帰りにローソンでサンドウィッチやらアンパン、プリンを買ってみた。
食事拒否されないよう、好きそうなものばかりを選んでみたつもりである。

到着後すぐに、団らん室のテーブルでサンドウィッチを持たせてみたが、どうにか食べられるけれどもやっぱり時間がかかる。
それに、落としそう。途中から私が食べさせてあげた。
だが、卵サンド一切れは食べられたがツナサンドは「要らない」プリンもアンパンも「もう要らない」という。
「食べて」と、震える手で押しのけてきた。
「自分のぶんは食べているから!」と目の前で自分のサンドウィッチを食べてみせた。
「もうちょっと食べてくれないと、おくすり飲めないよ」と言ってみた。

「困ったわね?」と間を開けて2度くらい言って、こちらの顔を見る母。
これは本当に食欲がないのか、甘えて私を試そうとしているのか、もしくは、自分ばかり食べるわけにはいかない。食べさせてあげなきゃ。と思っているのかは不明だが、先程の病院でも、自分で頑張ってと言われてムッとした様子になった母なので、他力本願になっている可能性が一番高そうだ。
「食欲がなくて具合が悪い。でも私の調子をあなたがなんとか頑張って良くして?」と言われているように感じる。

同居の時からこんなことはあったことだ。
でも、私が関わらずにショートステイやデイケアの場に来ると時間をかければまあなんとか食べられると聞く…
こんな少量じゃないはずだ。

あまりの食べてもらえなさに、以前の苦労した記憶と共に疲労と絶望がフツフツと湧いてくる。
というか、今日は病院付添もあったのに、なぜ食事介助もいま、私がさせられているんだ…難しいから施設にお願いしたんじゃなかったのか…と不満に感じ始めた。

辺りをみれば、土曜ということもあり余計人が少なくて、明らかに現場の介助の手が足りないのは伝わってくる。
聞けばコツを教えてはもらえるが、20代前半くらいの若い青年介護士、機械じゃないんだからみたいな喋り方と食べさせ方をしようとする。
「ハイ、○○サーン。食事デス。タベマショウ」と、感情のこもっていない早口で口にサンドウィッチを押し込むみたいなやりかた。あなたは生きたペッパー君ですかみたいな感じだ。いつも本当にそんなやり方なのかな…家族の眼の前だとマニュアル的動作としてそういう接し方をしてみせちゃうのかな。

外から帰ってきたばかりの所を見ているのに、手の消毒もさせずサンドウィッチを母に手づかみさせる。青年介護士自身も台所仕事をしてた手なのにいきなり直接パンを取って口に入れさせるので少しびっくりする。規則上、衛生面の理由で食事は取りおき出来ないとか言ってても現場ではこれ? 誤飲性肺炎以前に普通に細菌感染しそうでない? (わるく考えると、早く亡くなるよう励行しているのかなと穿ってしまう…)

でもそれでも、他人に介護の代打をお願いしているのだから、これ以上の要望は難しいというのもわかる。(不満なら自分でやれば?ってね)

慌ただしく、入浴の時間が迫ってきたようなので、私はその機会に撤退することにした。
また、青年介護士がペッパー君みたいになりながら服薬をさせようとしている。「ハイ、○○サーン。オクスリ、ノミマショウー」
が、母はその対応がやっぱりイヤなのか頑として口を開けない。

その後の風呂が進まないためか、見るに見かねて、やり手そうな50代女性介護士が来て、スプーンに錠剤を乗せてサッと口に入れさせた。お茶を何口か飲ませて舌の上から錠剤が消えたかの確認もする。こちらはあっというまに事が進み、さすがだ。なんだやっぱりあの青年介護士がヒヨコなだけか…でも人手ないんだもんな…
そして私もそういう人にお任せするしかないんだもんな…

いろいろ辛い。

自宅付近に帰ってきたらなんだかんだで18時くらい。母のズボンもジャージにしてくれと要望されていたのを思い出し、西友が5%オフの日なので疲れていたが西友に寄ってジャージを購入。
ホックで引っ掛けてジッパーで上げるタイプのスラックスみたいなズボンを持ち込んでしまっていたが、もう母が完全に自分では着替えられなくなっているから、介護士さんが履かせるのにウェストゴムのジャージの方が始末がいいそうだ。

来週の脳神経科受診の日にはズボンを持ち込もう。

そういえば、今日で、介護にまつわる日記ブログを公開しはじめて1年が経った。
ジェットコースターのように容態がコロコロ変わったと思う。
老人の3ヶ月は変化を感じるものだが、1年ともなるとさらに事態が大きく違ってくる。
まあ父は、明らかな認知症というのもまだ始まったばかりだし緩やかなものだが、母が特に…

去年の今頃までは、まだ両親はなんとかヘルパーさんの力をかりて同居、居宅介護できていた。私も通いの遠距離介護だった。
あと数日で、母が包丁を振りかざすようになって二人は別居になるのだが…

次の一年後はどのように変わっているのだろう。
なんとなくだが、母が居るかわからない気がする。