とりあえず義実家同居に終止符?

すぐにその場で済まない用事ばかりで長いことかかったが、目標にしていた親の用事が済んだ。

問題は母の経過が心配なことだが、通院ジプシーは良い結果がもらえないわりに母に待ち負担を強いていて、何が幸せなのか、という訴えが効いたのかあまり要請されなくなった。
細かい用件はあるけど…一時に比べたらだいぶ落ち着いたと思う。
呼びつけられるような緊急事態って、それこそ行かないといけない緊急事態なんだから、その他の事はそろそろまとめて郵送してもらえるなり何なり、してもいい段階になってきたんじゃないかと判断。

自宅に戻ることにしてみた。
10日ほど前だけどLCCは格安の航空券があった。

義母さんは、ここ一ヶ月くらいはだいぶ落ち着いたのか息子!息子!とさほど執着しすぎなくなっていた。
夕食の時にずっとそばでうるさいくらい話しかけることはなくなり。
私という話し相手がいるのでお喋りには気が済んでいるのか、私に息子の関心を盗まれる!という危機感が無くなったのか?

私も、義母さんの好みを終始伺い、このように過ごしたら良い、このように過ごしたら嫌がられるというのを慎重に察知するようにして合わせてこれた(方だと思う)。

それにしても、私もかなり学ばせてもらえた。
よその家の家事の具体的な方法もそうだけど、一番大きかった事は調理に関して「こうでなきゃいけない」というのが無い。ってことかな。

例えば、極端な話だがわかりやすく例えるなら。
食事をとる、ということは味噌汁と白飯が必ず含まれいて食事といえる、と思い込んでいるとする。(私はそうは思っていないが、仮の話)
義母さんだったら、「おかずだけしかなくても食事といえる」

こういう食べ方でないといけない、こういう食材の組み合わせでないといけない…そういうのが無い。柔軟である。

私はこの食材はこういう調理の仕方しか出来ない…他が思いつかない…から、調理はレパートリーもなく、苦手だ。

あ、なんでもいいんだ、って思えた。それは非常にありがたい。
固定概念に囚われすぎるなっていうのを教えてもらったように思う。

まあ、家事、特に洗濯や掃除には「絶対こうでなきゃ」というルールはあったから不思議な義母さんだけども。

2ヶ月間生活をご面倒みてもらったけど、一日1回は何も無い場所でもつまづいてた。
骨粗鬆症も持ってるし、転倒からの寝たきりが怖い人だな、とは思う。

一家の(一族の)健康を願う。

<後日>
帰宅日その日から偏頭痛が起こりはじめ、1週間丸々痛み続けた。
スマトリプタンを連日飲みながら、家じまいで出た品を片付けてたりした。
薬を飲むとその後ちょっとは改善するが、ずっと痛みの種みたいなのはあるし、寝て起きた後はまた酷く痛みだす。

偏頭痛は気が緩むと出現する、っていうからやっぱり帰宅したからなんだろうか。
この一年くらいで一番長い期間、痛み続けた。
こういうことがあるから、シフトのある外働きが出来ないなと怖くなる。