父の特養に行く(精神科診療立会)

前回と同じく朝9時半に到着。
父は「うまい、うまい」とコーヒーを飲んでいた。マグが空っぽになっても、なんども啜るように。

やってきたこちらを見て、「今日は早くに、朝から」と言った。
さらに、「メガネ細フレームにしたんだ」と言った。
メガネ変えたのはわりと最近だし、本当に認識できているのか。少し驚いた。
母の場合もそうだが時々、まるで認知症を感じさせず普通のように感じる。

ただ、これまで見てきた中で一番、目が開かない感じになっていて、特に片方の目は閉じたままなんじゃないかと思うほど薄い目になってたし、手がパンパンに浮腫んでいていつもしていた腕時計もはめていない。

わりとすぐに、看護師さん達が来て、腫れて皮膚が薄くなり体液が滲み出した脚を洗浄しにいくために父の車椅子を押してどこかへ消えた。
それから、また30分近く待った。(いつも、診察時間より早めに時間指定してくるの何でなんだろ…面会しておけって事かな)
今日は、割合に談話室が空いていて介護士さんの手も空いているようで、父が居ないあいだに最近の父の様子を教えてくれた。

やっぱり薬を変えても暴言、介護拒否は相変わらずのようで、その上女性介護士さんへはセクハラ発言まで飛び出しているらしい。
「お父様、お若い頃に女性関係などでなにかありました…?」と訊かれた。
「ああ、女性好きで、70歳すぎにパソコンし始めましたけど、出会い系とかまでやっちゃって、母が浮気されたから離婚する!とまでいう話になったことはある位でした」と答えた。

どうも、「僕と一緒に寝てくれる〜?」みたいな事を言い出したりするらしい。
言いそう。居宅介護の頃もお気に入りの女性ヘルパーさんにもクネクネしていたし、言ってる姿は目に浮かぶ。

暴言暴力も相変わらずだが、「したくないけどいじわるしちゃうんだ、ごめんね」とか言う時があったらしい。
それを聞いて、介護士さんは「これも本心からなのだろう。可哀想な人なんだ。」と思って、「精神科入院になるとまず(特養に)戻ってこれません。精神科は拘束もされるし、可哀想なことになるので、私たちは、そうならないよう頑張っていきたいと思ってますから」と言ってくれた。

やっぱり家族外の人にはそんな殊勝な事を言うんだ…少し驚きもあるが、父はそういう事を言いそうな人間である気もした。
自分の不味い立場を相手の顔色、周囲の反応を見て感じ取り、下手に出ている計算もあるんじゃないか。本心はわからない。
家族には謝ったことなど一度もない。何が本当かはわからない。
私は黙っておいた。私の代わりにお世話頑張ってくれるという人がいるんだから。

今日も10時すぎて、精神科医がやってきた。
足の洗浄から戻ってきた父はうつらうつらしていて、本人への問診もなく医師は介護士さんに状況の聞き取りをした。
ほぼ昼夜逆転になりつつあって、寝てくださいと誘導してうまくいけば寝てもらえる時もあるが気分を損ねさせると面倒になるということ。
セクハラ発言が出るようになったことなどが伝えられた。

前回だったら別室での説明だったが、うつらうつら寝ている父の前で医師はこちらへの説明を始めた。
やっぱり強くした薬が効かないこと、精神科の薬を強くすればおとなしくはなるが心臓にダメージがいったり浮腫が酷くなって身体のあちこち皮膚が破けやすくなり今のような状態になること。
身体を保護する方向でいけば精神を抑えられないこと。
精神病院は内科領域を診られないし、内科へ入院したいといっても精神病の対応はお断りされる。
よって、入院できる所が無いのでこのまま特養でなるべく頑張っていってもらわないといけないという話だった。

「たいていの施設は2週に1度が殆どだがここの施設には週一で来る用事があり、わりとこまめに様子をみることができる。身体の様子をみながら介護士さんの限界を聞き取りながら薬を強めにしていくしかない。そうするといつ、今すぐにでも心臓発作など、臓器の問題が起こるかわからない。元々不整脈を持っているので突然の変調リスクは高いです」と言われた。

私だって、「薬を強くしてもらって、介護士さんが仕事しやすいようにしてもらいたい。その結果死んでしまっても構わない」なんて直球で本心を言う訳にもいかず、苦し紛れに「介護士さんたちにしている酷い事は、若い頃から家族にはやってきた。家族は全員、統合失調だの、パニックだの、解離性障害だの、父のせいでいろんな病気にさせられたと思っています。父は精神の病気じゃなくて人格の問題だと思っています。認知症が、家族と他人をわからなくして本性を曝け出させたと思っています。だから治るとかいうものじゃないと思ってるんです」と言ってしまった。
こんな言い方をしたのはつまり、死んで構わない人間、と回りくどく言ったつもりなんだが伝わったかどうか。

とりあえず、引き取って治療するということも実現が難しいのでなんとか頑張ってもらってみましょう、という話になった。
一旦ここで精神科医は退出。
私は生活相談員、看護師さん、介護士さんのいる別室に呼ばれた。

そこでは、特養でも看取りの契約はしているが、強い薬を使うことで救急対応の場面があるかもしれない、その場合救急病院へ搬送ではなくて、主治医の救急病院へ運び、場合によっては看取ることになるので内科病院との看取り契約をしてもらいたい、という話をされた。

遠回しに言ってはいるが、救急搬送だと延命を頑張られてしまうが、主治医病院への搬送だともう、こういう状態の人だから、頑張れば延命を出来るかもしれないのを頑張らず、そっと「看取る」方向のケアになるということのようだ。(と、私は理解した。あまりに回りくどいので…)

その契約を一週間後に来てほしいというのだ。私はOKした。また、来週来なくてはいけなくなった。

「なにか気になることとか、話したいこととかありますか」と言われて、私は「辛い対応を、皆さんにおまかせして。何と申し上げたらいいのかわかりません。申し訳ありません。ありがとうございます」と言ったところで涙が出てきた。
「私は、父の干渉がもう無理、となって、東京からすごく離れたんです。つまり逃げ出したんです」と言った。

「私達は交代で少しずつ受け持てるし、大丈夫ですよ」「○○(父)さんご自身でどうにもならなくて、一番お辛い状態だと思っています」と言ってくれた。

本当に、なんと言っていいのか。父との関わりなんて他の人に投げ出したい。(そして実際投げ出した)
こうなるのがわかってて投げ出しといて、すみませんもありがとうも無いだろう、と本当は思う。

会合が解散した所で、そのまま椅子にへたりこみ、すぐに思い直して義母さんに滞在の都合を訊いてからOKをもらえたので、航空券の予約をした。

ほんとしんどい。いつまで続くんだろう。こういうの。