両親の特養にハシゴ訪問

年末年始が挟まり、前回の訪問から久しぶりに間があいたように思う。

父の特養に訪問

なんと父は90歳になってしまった。
誕生日祝いという名目で、あまおう(苺)とモロゾフのプリンを買っていった。
名目というか、あんな物々しい看取り契約を結んだので、“もういつ死んでもおかしくないな、さすがに好きな食べ物くらい最後に食べさせてやろう”と思ったのだ。

父は私を見ると、「確認するけど、あなたは私の娘?○○?」と訊いてきた。
ここ数ヶ月は私の認識もあやふやになってきている。
ちょうどお昼の時間帯になってしまい、父の昼食を見守った。
数ヶ月前に食欲が落ちていたのが嘘のように、常食を自分でがつがつ食べていた。
ロールキャベツ、ポテトサラダは美味い美味いと食べたが、シメジといんげんとベーコンを煮たような野菜は残しそうになったので体に良いからと勧めると完食した。
まるですぐ死んでしまうようには思えない。
水疱状になって皮が剥け、包帯を巻いてていた脚は包帯が取れていたが、どす焦げ茶というかすごい色にはなっていた。
この間まで手もむくみでパンパンになっていたが一見普通に見えるくらいに落ち着いていた。
元々太って大柄だった父は、腹ばかりでて全体的に小さく小さくしぼんでいくようだった。

俺がしていた腕時計があるはずだがな、最近見ないんだ、どこに行っただろうとしきりと気にしたので、さすがにたまには好きなものくらい眺めてもいいだろう、と思って、所在を介護士さんに尋ねた。
時計が腕を圧迫するのは良くないのですることは出来ませんが眺めるのはいいですよ、と、介護士さんは忙しい合間をぬって貴重品入れから取ってきてくれた。

義母さんから、お父さんにあげたら?と両口屋是清の一口サイズの小さなお菓子を預かってきていたので、あげてもいいか介護士さんに訊くと、一口サイズといえど看護師に訊かないといけないそうで、電話で問い合されていた。
お菓子をあげるくらいなら苺を食べてもらったほうがいい、とのことでお菓子をあげるのは断念した。
まあ苺は1パックあるから急いで消費しないといけないし、プリンなんぞは本当は今日中に召し上がれとなっている。

待つ時間が多かったのでなんだかんだ話した。
だいたいこんな内容だ。
(自宅から)俺のカメラを持ってきたいんだけどって言われて自宅は誰も住んでないのに家賃を払い続けるわけにはいかないので退去したこと。
母の今の状態について。
私と、父の居る特養との関係が不思議そうなのでその説明。
どうも、特養は建物の中に人が忙しそうに働いているもので、父は職場と混同している節があった。
ここは健康を管理してくれる会社で、私はお客だという説明の仕方をした。

老人ホームだとか言われても意味がわからないのか、わかりたくないのか話がうまく通じない。
年齢が90歳になったことも伝えたがニヤニヤしているだけでわかっていない様子だ。
だから、「老人だから家を出てプロの手を借りて生活しなければならない」なんて事を説明したところで通じない。
「健康を管理してもらってる」とか「病院だ」みたいな言い方をすると通じる。
これは、母も同様な受け取り方をしていたから、もう自分が老いた、何もできないということを認識したくない自己防衛が働いていると感じる。

割合に記憶がはっきりしている部分もあり、息子は死んだこととか、私の下げている鞄が義母から貰ったバッグだとか、義母は○○に住んでいるということや、旦那の姓と今何の職業に就いているなどは話してきたので驚く。でも昼食を食べたのに「これから昼食べて〜」と言ったり、話したばかりの事を忘れているのは認知症状らしさがある。

時計を持ってきてもらうのにけっこう待ったので、父の特養での滞在に2時間以上費やしてしまった。
疲れるから本当はそんなにいたくない。
いっぱい話したせいか、父も、「疲れた」と言い出していたので、「また来るよ」と言うとわりとすんなりさよならをした。

母の特養に訪問

父の特養の次は母の特養に行く。
いつものケアマネさんがいて、新年の挨拶をした。
まあ相変わらず低空飛行ということで、顔をみにいくことに。
母は談話室のTVの前に車椅子で座らされていたが、目を閉じていた。
この間から、ベッドで横になる以外では起きていても目をしっかり閉じている。
また、口をモゴモゴと声のない独り言を言っているように動かしていた。
これは若い頃からの母の癖だ。今にして思えば抑うつの症状かもしれない…

介護士さんが来て、個室に移動してくれたが車椅子を触った時の衝撃だけで母は顔を歪めた。
刺激が苦しいのか、次にどんな嫌な痛い事をされるのかという恐怖なのか。
もう母は、存在しているだけで苦しがっているように見えた。

いつものリーダー的な男性介護士さんが来て、母がプラスチックの注射器を噛んで先を潰してしまう状態について説明してくれた。
注射器も触らせてもらったが、硬質プラスチックで、こんなものをぺたんこに潰すほど噛むって相当大変だという事が伺えた。
どうも、介護士さんは、注射器で食事介助することについて是非があるのか、家族からの抗議がこれまでにあったのかわからないが、すごく念入りに介護側の苦悩も含め説明してくれた。

「ガツッと噛まれて苦しそうにしているのをスプーンで長時間かけてなんとか食事をしてもらう。これは正直、介助してる側のメンタルにも来ます。なので申し訳ないですけど比較的食べてもらいやすい、注射器にさせてもらったという事情もあります」

そうだよね…単に、顎が開かなくなっただけなのかもわからない。本当は、食べたくないのかもしれない。食事介助の人のことが気に入らないのかもしれない。それを介助するって大変だよね。
まあ母の場合は、本人が食べたくても顎がひとりでに噛み合わさってしまってると思うけど…大好きな甘いおやつでもそうなると聞くから。

車椅子の滑り止めが必要と伺ったんですが何ですかと聞くと、母はこの世代にしては高身長なので車椅子のサイズが合わない、と。
合わないので滑っていってしまう。変に滑り落ちた形で座り続けると褥瘡ができてしまうということで。
車椅子と座布団の間に、それなりな滑り止めシートを入れたいという話だった。

色々説明をもらって、ごゆっくり、と母と二人にしてもらったが、母には話しかけても無反応。
むしろ、声の衝撃(?)で苦痛に歪めた顔になる。
「認知症初期は家族は戸惑って辛いかもしれないが、まだ、その人らしさがあるという意味では幸せな状態です。後期になるとその人らしさは無くなる」と書かれていたネットの情報を思い出す。
もう母は、ただ苦しがってそこに存在しているだけ。こちらの認識はもちろん出来ないし、人がいるという存在すら気にできない。話せないし、苦しいという感情以外に何も読み取れない。

でも、母本人は本当のところどう思ってるかわからないし、他人が決めることでもない。

正解がわからないからただ命の灯火が自然に消えるまで耐えないといけないって何なんだろう。

一応「また来るね」と声掛けだけして、すぐに退室した。

父は盛り返して元気そのものだし、母はどうにも何もできない。
ちょっとしばらくは、来てって連絡もらうまでこちらから行かなくてもいいかな。と思ってしまった。